選択と集中というのは、この場合、ビジネスの言葉であり、要するに予算に対して人が多すぎて、人の価値が落ちたということであった。
そうである以上、 人員整理が必要であった。
人も大根と同じで、多すぎるとその価値を下落させる。大根と同様、人の価値をあげるには数を減らすしかない。
∧∧
(‥ )ところが学者さんたちは
\− 選択と集中に対して
学問の自由が奪われると
言うだけであった
(‥ )完全に意図的だよね
投資に対する生産性というビジネスの話をしているのに、自由と言い出す時点で、それは論点ずらしに他ならなかった。
そしてしかし、全員が論点ずらしを行うということは...
∧∧
( ‥)つまり学者たちは
全員気がついているのである
(‥ )みんなさ
自分と自分の業績と
自分の学問に
価値がないと
知っているんだよな
というわけで、結果は明らかであった。役に立たない学問は全部消える運命だ。そしてそもそも学者たちは選択と集中に反対などしていないのである。反対するならビジネスの話から論点をずらしたりはしない。真っ向勝負を挑むだろう。挑まぬとは勝算を持たぬ証拠。
つまりみんな心の底ではわかっているのだ。自分と自分の業績に何の価値もないと。
∧∧
(‥ )実際、学者さんたち
\− 価値のない研究から
価値あるものが
生まれるって
言うからね
本当に生まれうるなら
そんなこと
言わないよね
(‥ )価値もないし
価値あるものも
生み出せないって
本人が知ってるんだよな
だから
うまれるかも〜
なんていう抽象論しか
口にできない
言っている本人たちがここまでわかっているのだ。選択と集中に反対。こんな口先の反対に意味も効果もないこと、明白であった。
学問は消える。なぜなら消えるべき存在だからだ。そんなことは学者たちが一番よく知っている。