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2020年4月1日水曜日

人が死んでも良いのですよ、安心感さえ売れば問題ない

 
 ∧∧
(‥ )抗体検査で検索すると
\−  有名人のつぶやきが
    ひっかかってきますが...
 
  (‥ )ということは
      大部分の人間は
      興味ないってことだね
 
 つぶやいているのは、政治家、あるいは検査で金儲けしたい医者くずれ、あるいは疫学的な興味を惹かれた人であった。
 
 ∧∧
(‥ )意外なことに
\−  PCR検査に否定的だった
    橋下元大阪府知事が
    興味を示してる
 
  (‥ )医療の現場に負担を
      与えにくいからかもな
 
 医者が鼻に綿棒突っ込んで検体を取る方法だといかにも危険だが、抗体検査なら血を取ればいいわけで、そこまで危険ではない(と楽観できる/楽観しやすい)。
 
 一部ではご自宅で素人が検査できるとも言われており、このあたりが元知事の興味を引いたのかもしれなかった。
 
 ∧∧
(‥ )でもさ素人でも検査できるって
\−  大抵は嘘か過大評価
    あるいは言い過ぎだよねー
 
  (‥ )だろうねー
 
 
 橋下元知事の興味は当然だけども、実際、そこまで効果的かは怪しいように思われた。
 
 しかし興味深いのはそこではない。
 
 ∧∧
( ‥)抗体検査は安全を売る
    ものではない
    安心感を売るものである
    ここ大事
 
  ( ‥)そこに皆の興味が
    −/ ひかれているのは
       面白いよな
 

 
 PCR検査は、あなたは今、新型肺炎にかかっているか? が分かる。
 
 抗体検査は、あなたは新型肺炎にかかったことがあるか? が分かる。
 
 ∧∧
(‥ )現在形と過去形の違いであるな
\− 
 
  (‥ )つまり抗体検査とは
      あなたはすでに新型肺炎に
      感染して
      抗体を手にしたから
      もう新型肺炎に
      かかりませんよ
      という安心感を売るだけで
      安全を売るわけでは
      ないんだよな
 
 まあ感染したから安全ですよ、ではあるのだが、知らんうちに感染していることが後から分かる時点で、それは安全ではなく、安全であることが分かったという安心感の販売に過ぎないのである。だとしたら抗体検査に何の意味があるのかわからなかった。
 
 ∧∧
(‥ )強いて言うと
\−  人口の7割が感染していたら
    収束するんじゃないの?
    ということが
    分かる程度ですかね
 
  (‥ )それなら多数の検査をする
      必要なんてないしな
      やっぱ意味なくね?
 
 それにA県B市で7割感染がわかったとしても、それがB県やZ市でも言えるわけではなかった。疫学的には興味あることかもしれないが、安全確保という点で意味がどの程度あるのかは不明だった。
 
 結局、皆が欲しいのは安全ではなく安心感なのである。それを考えるとニューヨーカーがクオモ知事を絶賛するのは納得できる。クオモ知事は蔓延させており安全は売っていない。しかし人が欲しいのは安心感であり、安心感を売ればそれで客は満足する。市場とはそういうものであった。
 
 *ガン患者がインチキ医療に引っかかって死ぬのも、安全よりも安心感を求めた結果であると解釈すれば納得しやすいだろう。人が欲しいのは安心感であって、それさえ得られれば安心して、最終的には死んでいく。これが需要と供給というものだ。なるほど、政治家が安全よりも安心感を販売するとは、為政者としては失格であろう。しかし、市場原理的に言えばそれは正しい。
 
 
 ちなみに
 
 ∧∧
(‥ )例のクルーズ船で厚労省を
\−  批判した岩田教授は
    抗体検査に注目している
    ようですけどね
 
  (‥ )ああ..俺みたいな仕事の
      立場だとな
      岩田教授を
      信用するわけには
      いかないんだよねえ
 
 彼はわずか半日程度で賞味期限切れになる情報を販売した。例えれば半日で賞味期限が切れる食品を販売したようなものである。そんなすぐ腐るような肉を一度でも販売したスーパーをお前は信用するのか? という話であった。

 
 *ハディースは伝達経路が違うと内容が同じでも違うハディースとみなされる。ゆえにハディースを口伝した人物の順序と名前は重要だ。しかるに人物と順序と名前を間違えたハディースというものがある。あるハディース学者は正しいハディースを編纂するために、間違えたハディースを一度でも引用した学者の業績はすべて否定した。これは厳しすぎる基準ではあるが、言い分としては正当なのである。
 
 
 **ついでにいうと、教授が都民は知る権利があると言ったのは印象的であった。権利は安全ではなく、知るとは結局のところ、安心感の販売と購買に思えるから。
 
 
  

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