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2019年8月8日木曜日

8日の入道雲と芸事は空っぽだという話

 
 8月8日。相変わらずの猛暑。
 
 ∧∧ 死ぬぞー
( - -)
 ‐( - -)そだね
 
 入道雲が湧き上がり青空のもと、白く輝く。


 あるいは湧き上がって巨大な影を作り出し、あちらの下はいつも通りの豪雨。



 さて
 
 ∧∧
(‥ )ジャーナリストの
\‐  津田大介なる人が主催した
    表現の不自由展なる展示会
    慰安婦像とか特攻隊や
    昭和天皇を侮辱する作品などで
    大顰蹙をかって
    脅迫があったことを口実に
    3日間で中止
 
  (‥ )炎上芸案件だろ?
      論ずるようなことでは
      ないと思うが?
 
 写真の登場によって絵描きは肖像画、風景画という仕事を奪われた。そこで絵描きはネタで生き残ることにした。印象派、野獣派、キュビズム、そしてなによりピカソ。
 
 ピカソが既存の枠を崩すというネタをほぼすべてやってしまったので、ここから後はどうにもネタ不足に陥った

 ジャクソン・ポロックのアクションペインティング

 マーク・ロスコの四角...
 
 ∧∧
(‥ )こっから後はもう完全に
\‐  ネタ切れだね
    
 
  (‥ )日本の漫画やアニメを題材に
     芸術していると称する
     村上隆も
     あれは
     ロイ・リキテンスタインの
     パクリだしな
     芸術家どもなんざ
     どいつもこいつもネタ切れさ
 
 ロイ・リキテンスタインはアメコミを描いて芸術と称した作家。彼のM-Maybeは代表作=>https://www.google.co.jp/search?biw=981&bih=904&tbm=isch&sa=1&ei=tt1LXfOfC9LVmAXRrK04&q=roy+lichtenstein+maybe&oq=roy+lichtenstein+maybe&gs_l=img.3..0i19j0i8i30i19.55100.56177..56585...0.0..0.86.471.6......0....1..gws-wiz-img.......0j0i30j0i30i19.LellDpcM-d8&ved=&uact=5


 以前、日本の漫画やアニメを切り貼りしてぐちゃぐちゃのオリジナルキャラを作って芸術と称して炎上した若手芸術家たちがいたけども、ネタ切れになるとどうしても人間、犯罪に走る。芸ができない芸人がチンコ見せるのと同じ。
 
 ∧∧
(‥ )表現の不自由展もそれと同じ
\‐  ネタに困った炎上芸でしかない
    twitterと同じである...
    それはともかく
    表現の自由という点では
    この展示中止をどうみる
    べきですかな?
 
  (‥ )人を殺すことを芸術と
      称することは
      犯罪ではあるが
      禁じられてはいない
 
 
 当たり前だが、殺人を禁ずる法律はない。殺した場合の罰則が規定されているだけだ。
 
 だから人を殺すことを芸術と称する自由は存在するし、それは法的にも禁じられてはいない。
 
 ∧∧
( ‥)ではなぜやらない?
 
  (‥ )皆がそういう自由を
      許さないからさ
 
 端的かつ単純にいうとこうである。

 皆の支持がないものは自由であると見なされない。
 
 ∧∧
(‥ )表現の自由というものを
\‐  尊ぶ連中からすれば
    容認できない見解だろうがな
 
  (‥ )だがこれが事実
      それがこの世界の仕組みだ
 
 価値観は説明ではない。
 
 価値観は仕組みではない。
 
 価値観をいくら打ち込んでも現実は変わらないし、仕組みも変わらない。

 表現の不自由展の中止に私たちは異議を唱えますと、いくらマスコミや文化人や芸術家たちが声明を出しても、それは仕組みではなく説明でもない。それはただの芸であり、現実の仕組みについて何も語っていない。
 
 仕組みとは多数決なのである。多数が否といえばそれは否決される。自由は多数決で決まる。それが仕組みであって、声明も炎上芸も現実については何も述べていない。
 
 芸事とは空っぽなのだ。
      
  





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