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2019年3月11日月曜日

適応するぐらいなら膝を抱えていた方がいい

 
 資本論はなんとも冗長な内容で、多分、概念を細かく分けすぎ、説明しすぎなのだろう。
 
 ∧∧
(‥ )余計な部分をはしょったら
\‐  10分の1とかになりそう
    ですけどね
 
  (‥ )労働問題の具体例とか
      いっぱい上げているのは
      資料として有用だけどね
      まあ無駄に書きすぎだな
 

 そして思うのだが、これだけ無駄にくどくど余計なことまで微に入り細にわたり書いたのは、もしかしたらご本人が唱えていた、商品の価値=労働時間、というアイデアのせいだろうか。
 
 ∧∧
( ‥)まあ商品の価値が
    労働時間ですと設定したら
    本を長々と書くのは
    納得だけどね
    長々書けば価値が上がる
    でも資本論自体は
    確かに後に
    ベストセラーになったけど
    マルクスのおっちゃん本人は
    貧乏のまま死んでるべ
 
  ( ‥)商品の価値は
    ‐/ 労働時間ですなんて
       こんな発想は
       物書きが絶対しちゃ
       いけないもんだぜ
 

 商品の価値=労働時間、というこの発想。これは、仕入れと儲けと経理のことにまったく関わらない雇われ人間であれば別に信じてもいいだろう。しかし自営業がしていい発想ではない。いくら時間をかけても、売れなきゃそれで終わりだ。死ぬ。

 多分、マルクス主義の最初の犠牲者はマルクス本人だった。
 
 ∧∧
(‥ )でもこれこそご本人が望んだ
\‐  結果だったのでしょうな
 
  (‥ )俺の知ってるニートが
     マルクス主義にかぶれたのも
     これが理由だろうな
 
 人は時として、環境に適応するぐらいなら膝を抱えて夢を見る方を望む。そっちの方が楽だからだ。そしてだからこそ資本論は価値を得た。おそらくそれだけのことであった。世界というのはいつでも色あせているものだ。
 

     

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