2019年5月22日水曜日
パスカルとクトルゥフ あいつ嘘つきやがった!
パスカルは言った。人間は考える葦である。
∧∧
( ‥)人間のどのへんが
葦なのよ?
( ‥)さあ??
‐/
そういえば子供の頃、先生がこんなことを言っていたな。葦は風や水に逆らわず、しかし受け流す。人間は柔能く剛を制すように強く、考える存在なのであると。
∧∧ 本当かい?
( ‥)
‐( ‥)図書館へいって
読んでみるか
パンセの断章347に
書いてあるそうだが...
読んでみた。
人間はひとくきの葦に過ぎない。自然の中で最も弱いものである...
あの教師、嘘つきやがった!
∧∧
(‥ )人は弱く大宇宙の前では
\‐ 葦のごとく無力な存在だが
考えるという点で
宇宙よりも尊いものだ
という内容だね
(- - )あの野郎
適当なことぬかしやがって
ちなみにパスカルのこの見解。すなわち、無限の宇宙よりも人の思考の方が尊い、という豪語。これは実のところ宇宙に対する恐怖と表裏一体であるらしい。
当時はちょうど天動説から地動説へ宇宙観が切り替わりゆく時代だ。
これは有限の狭い、胎内のような神の宇宙から、無限大の虚無が広がる無情の物理宇宙への切り替わりでもあった。
∧∧
( ‥)圧倒的な大宇宙への
恐怖に対抗するための言葉が
考える葦ってか
(‥ )同時代のデカルトも
我思うゆえに我ありとか
言って
宇宙よりも思考の
優位性を訴えて
いるからな
地動説の無限宇宙への
恐怖は
当時では
深刻な問題だったのかもな
パスカルやデカルトが生きた17世紀において、地動説の無限宇宙とは、得体の知れない存在やら神々が飛来するクトゥルフ神話のようなものだったかもしれない。
∧∧
(‥ )パスカルさん意外と
\‐ ネタが豊富だな
(‥ )言ってる内容は基本的に
くだらないけどな
クトルゥフにびびった
17世紀人の恐怖の独白と
考えれば
おもろいかもな
それに彼は病で苦しんで39歳で早世した。思考の優位性にすがるのは当然である。