2019年1月16日水曜日
頭の良い人間は必ず精度を軽視し 言葉の定義を歪める
∧∧
(‥ )お笑いタレントの
\‐ 松本人志さんが
この人(文大統領)が
大統領をやっているうちは
(日韓は)仲良くならない
と番組で発言して
それをリベラルが叩いてる
(‥ )これは芸人による
政治発言だ!
辺野古を批判したローラは
叩くのに
なぜ
松本人志は叩かないのか?
ネトウヨは二枚舌だ! と
言ってるのか
なるほど
人の反応が一見すると矛盾する時、それがなぜ皆にとって矛盾と受け取られないのか? それを分析するべきだろう。
∧∧
(‥ )まあ単純な話
\‐ みんなは政治的意思の強さを
判定しているのだろうね
(‥ )仲良くなれないよね
というのは
誰もが口にできる評論だ
反対に
辺野古移設反対署名活動
というのは手間もかかるし
金もかかる
意思の強さ
意思の方向の明確さ
全くの別ものだな
まったくの別物なのだから、この二つを等価に扱うと言う方がどうかしている。
この二つを等しく扱うというのなら、反対署名という実行と、大変ですねという感想は同じということになる。
実行と口先が同じという判定。普通の人はこんなことをしないが、リベラルはそう言った。
つまるところローラと松本人志を同じだと言った瞬間、これを言った人は投票することと、棄権することは同じだと言ったことになる。
要するに、ローラと松本人志を同じだと言った人間は、今後二度と、投票にいかなかった人間を批判してはいけない。もちろん野党に投票した人間を賞賛し、自民党に投票した人間をネトウヨと区別することもまかりならん。それほど精度悪いことをリベラルは口にしたのだ。
∧∧
(‥ )精度の悪い議論を
\‐ しちゃだめですよ と
(‥ )頭良い人間は理屈を
重視するのでな
精度や言葉の定義を
軽視したり
恣意的に歪めるのが
好きなんだよねえ