以前、ある組織に取材に行ったことがある。大きな組織だから広報も同席するのだ。
そして下っ端の若い研究者はこれが資料ですとプリントしたwikiをこちらに手渡し、一方、部長クラスになると詳細な資料を用意してきた。
∧∧
(‥ )立場の違いだよね
\‐ 現場仕事に追われる下っ端は
取材への対応は雑用としか
思っていないから
対応がぞんざいで
嫌々だし
反対に部長クラスになると
広報の先に
予算の折衝先である
国家官僚の姿を見ている
(‥ )まあだからな
若手の下っ端の愚痴は
ああ、そうですか
と笑って聞き流すに
限るのよね
それがどんなに真剣で切実な愚痴であり、生活ができないという悲痛の叫びであっても、そんなものは聞くに値しない。
そもそも愚痴だけこぼして、それでもなおそこにとどまると決めた時、それは檻の中の飼い殺し、自分は家畜になる、ペットになると決断したことと同義なのだ。
嘆く権利も自由もある。だがそれだけのことでそこに価値はない。