2018年3月1日木曜日
円軌道は単なる宗教である
古代ギリシャ人は天才であり、惑星が円軌道で動いていることを見抜いた。
∧∧
(‥ )...と言われてるけど
\‐ 考えて見ればこれ
嘘だよねえ
(‥ )惑星は定期的に
逆向きに動く
つまるところ
明らかに円軌道では
動いてないよね
確かに結果から言うと惑星は円軌道で動いている。正確には楕円であるが、円軌道で動いていることは結果的には間違いない。
∧∧
( ‥)でも現象論的には
明らかにそうではない
惑星が逆行する時点で
円軌道で動いているという
仮説は棄却されるべきだよね
(‥ )多分
最初単純な観察から
天空は
円運動をしていると考えた
次に天は至高だから
円運動は尊きものだと
考えた
しかし観察が進んだら
円軌道では説明できないと
わかった
だが尊き円軌道を
棄却するのがおしくて
円軌道にこだわって
色々な言い訳を
繰り出してきた
そう考えるべきだろうな
実際、ギリシャ人が惑星の逆向に気づいたのはかなり後のように思われるし、アリストテレスも円運動は至高の天に固有のものであり、円運動という単純な理解を無条件で受け入れているから、おそらくそうだろう。
∧∧
(‥ )つまり惑星は円軌道をめぐる
\‐ この発見は宗教的なこだわりが
生み出した結果で
逆向現象を前にしても
仮説を捨てなかったのは
宗教的なこだわりが
ゆえであろうと
(‥ )本来は円軌道であるべき
惑星の動きを救うと
彼らは述べた
この発言は
宗教的な信念が
仮説の放棄をはばんで
結果的に正しい道へ
導いたことを
明瞭に示している
つまり、太陽系の正しい理解への第一歩は、宗教的な根拠不明な執着がもたらしたもので、結論ありきの強引な思考だった。結果的には正しかったが、それはあくまで結果だ。そうみなすべき。
∧∧
(‥ )まあこういう解釈それ自体は
\‐ 少し歴史に詳しい人なら
多かれ少なかれ
述べることなんだけど...
(‥ )しかしこの
本来棄却されるべき仮説を
棄却せずに結果的に
正しい道を歩めたのは
宗教的信念で
そこに根拠はなかった
ここは見据える必要がある
ここをしっかりにぎっていないから、ギリシャ人は天才だったとか、トンチンカンな結論に至るのだ。だいたい、物事を天才で説明してしまうとは未知の回路で現象を説明するわけで、説明として下の下である。
∧∧
( ‥)無論
最初に素朴な観察があって
だからこそ
こだわれたのだとも
言えるけども
(‥ )論理と言いつつ
反証が現れても棄却せず
補助仮説を導入して
救済を試みる
この動作をそれだけで
正当化するのは
無理ってものだぞ
このことは、科学において無意味な信念や宗教や思い込み、勘違いが極めて重要な役割を果たしていることを示している。そういう点でいうと、科学は非論理でオカルトで狂った存在であるし、そうあるべきなのだ。ここを見誤ると科学の歴史に対する理解が破綻するだろう。