2017年1月2日月曜日
さあこここで自慢の話をしよう
年末年始はなんだかんだいって人との付き合いで忙しい。
昨日などはひさかたぶりにテレビを、それも何時間も見ることとあいなった。
そうして、今のご時世、自分はテレビを持っていないと他人に言うことは、自慢のひとつなのである。
∧∧
(‥ )あなたがテレビを捨てたのは
\− 手に抱えたまま
資料の置き場がないと
途方にくれていたとき
ふとブラウン管テレビが
目に入って
ああ、このスペースが
そのまま置き場になって
くれたらなあ..と
思っていたらちょうど
廃品回収業者のトラックが
スピーカーかきたてて
やってきたからでしょ
(‥ )たまたまさ
たまたまだな
でもこれは自慢になるのだ
テレビなんていう時代遅れのメディアを俺様は持っていないぜ! という自慢
∧∧
( ‥)わーお 鬱陶しい
( ‥)はっはっは
−/ 自慢というのは
鬱陶しいものさ
当たり前だろ?
理由がなんであれ、そしてその気があろうとなかろうと、テレビを持っていませんという自己申告は、今の時代、自慢になるのだ。
確かに90年代までなら、テレビを持っていないというのはただの哀れな貧乏人としか見られなかったであろう。
しかし、
ネットという動画の選択肢がテレビに対抗して出現した時点で
youtubeとテレビとどちらを取る?
と問えるようになった時点で、テレビを持たぬことの意味は変わった。
どちらを取る? テレビにまだ未練がありうる現段階で、俺はネットだとテレビを切り捨ててしまえる大胆さ、無謀さ、馬鹿馬鹿しさ、ここに自慢の余地がある。
∧∧
(‥ )まあくだらない自慢だけどな
\−
(‥ )自慢というのは
くだらんものさ
紅葉狩りと称して
葉っぱ見物にいき
ダリ展にいくと称して
油で練った顔料を
見に行くのさ
疲れた休日に葉っぱ見物にいける余力、デフレの過剰労働の合間に顔料を見に行く余裕。これをこそ人は豪語しておる。
さて、かような人間のせせこましい有様を踏まえれば明白なのである。
野党とその支持者たちは、
俺様たちはお前ら貧乏人どもと違って金に困っていないぞ自慢
をしているのであると。
∧∧
(‥ )デフレの状況下
\− あろうことか極右とされる
首相が労働者の賃上げを
財界に要求する
しかし一方その頃
労働者の味方を
標榜する野党とその支持者は
賃上げそっちのけで
戦争法案反対を叫ぶのである
(‥ )皆が賃金を上げて
経済を回そうと
躍起になるなかで
国防を削れー! と
的外れなことをあえて言う
これは
俺たちはデフレでも
困っていないから
空気読まずに
見当外れなことができる
経済エリート様です
と自慢するに等しいのだ
∧∧
( ‥)野党どころか
野党支持者たちも
そうなのであると
(‥ )あからさまだろ?
高給取りの新聞記者たちは
戦争法案だトランプで
世界が終わるだの書き立て
知識人達はtwitterで
貧乏低学歴のネトウヨ死ね
とわめいとる
皆が賃金上げろと声を上げる中で、それとまったく関係ない美辞麗句を言い立てる。
それは着眼点が皆と違うということをアピールしている。
あるいは、
低学歴だからお前達は貧乏になるし国家や血縁によりかかってネトウヨになるしかないんだねww
というリベラルたちのあざ笑いは、発言者の価値観と優越感がどこにあるか明白にしている。それは、自分は高学歴、高給取り、少数の知的エリートであるという自負だ。
∧∧
( ‥)とっなりますと
皆が賃上げを要求する
この状況下で
戦争法案反対と微妙に
ずれた国防議論に焦点を
当てているとは
それはあからさまに
”俺様たちは金に
余裕がありますよ自慢”
なのである
(‥ )人間の動機なんて
さもしいもんさ
なぜって、さもしくないと意味がないからだ。そうだろう?
ところで
∧∧
(‥ )昨晩やってた
\− 平成教育委員会
あなたけっこう楽しんで
見てたでしょ?
(‥ )はは
なかなかテレビも
良いコンテンツを
持っておるよ
まだやっていたのは
驚きだがな
もちろん、金が失われて余力がなくなる中、かつて当たった手堅い商品を繰り返しているだけなのだが、そこにはやはり価値があるのだ。
∧∧
( ‥)大人の学力が
小中学生どまりなら
小中学生の問題を出し
解答できない
お馬鹿芸人を笑って
優越感にひたり
あるいは自分も解けないという
ひやり感を味わうのである
(‥ )売り物の基本だよね
おおいに参考にすべし