2016年7月14日木曜日
リテラシーなるもの滅すべし
∧∧
( ‥)あなたの職業において
知性というものは
必要ない
(‥ )サイエンスライターに
知性なんて必要かい?
というか知性があって自分で考えるサイエンスライターに限って、グールドや今西錦司をわざわざ読んでトンデモ進化論をぶちあげる。
あるいは木村資生の中立説をトンデモ解釈して、すべての変異が等価で、これでダーウィニズムは否定された! と絶頂に勘違いしよる。
∧∧
(‥ )そういう誤謬はなにもかも
\− 知性の仕業である
(‥ )考えるからそういう
過ちを犯すのだ
考えるのではなく、論文の引用数とか、引用における評価とかを見れば、どれを選び、どれをどう解釈すべきかは明瞭だ。
∧∧
( ‥)そういう単純作業は
ミツバチ程度の頭があれば
可能ですよと
(‥ )論文の引用数を
蜜の量だとして
評価を蜜の質に
例えればよろし
後は果てしない単純作業の累積。
∧∧
(‥ )もちろん自然界と同様
\− 科学の世界でも偽装や欺き
錯覚や誤謬が存在している
(‥ )でもそれも手数と
作業を増やせば
突破できようぞ
つまり行程とその数の問題で、知性の問題ではない。
もちろん、こういう考えを批判する人もいよう。これは結局、研究者の知性にただ乗りしているだけではないか? 研究者が理性的に知性的に正しい判断を下したから、論文の引用数は正しさを反映し、論文に対する言及は正しさの度合いを反映するのではないか?
∧∧
( ‥)否であると
(‥ )研究者がそれを
正しいとできるのは
実験したり観測したり
検証できたからこそ
だからな
確かにその作業過程で知性は使っているが、結局のところ判定しているのは知性ではなく、実験や観測だ。それはつまるところこの宇宙が決めていることであって、知性が決めているわけではない。
∧∧
(‥ )知性など是非に必要ない
\−
(‥ )反対にほら
グールドを引用したり
中立説をトンデモ解釈する
連中は
自然に対する知性の勝利を
たからかに謳い揚げるだろ?
この世は共存共栄だ。生存競争などない。すべては自由で、それこそが人の道であると。
だがこれは知性が生み出した虚像。自然と宇宙という悪意ある存在から眼をそらした結果にすぎぬ。
ゆえにこうである、知性、理性、リテラシーを謳い揚げるもの、そのことごとくを滅すべし。知性とリテラシーなるもの、それは誤謬と虚偽の語り部である。