2015年10月5日月曜日
イエスマンはぶち殺せ
安保反対のデモは消費者の需要を考えていなかった。
さらにおそらくは、
デモは民主的である
民主制は価値がある
ゆえにデモにも価値がある
価値があるのだから皆も買うはずだ
多分、こんなような誤謬を犯した。意義と価値と需要と売値をごちゃまぜにしたので、販売に失敗した。販売に失敗した商品は流通せず。当然、価値が出ること無く、打ち捨てられる。さらに言えば、価値の無いものに拘泥する人間は、以後、奇妙な人としか思われない。
∧∧
(‥ )でもこの失敗は
\− 人がしばしば犯すもの
である
(‥ )価値があるから
需要に応じている
人はそう考えがちだ
だが実際には
むしろ反対
需要に応じているから
価値、あるいは価格が
設定されるわけよ
つまり
価値がある=需要に応じている
は間違いで
価値がある⊆需要に応じている
なんだが、人間は以上の二つの区別が良く出来ていない。そういうことになる。
*A⊆BはAはBの部分集合である、の意味。
∧∧
( ‥)でもこの識別失敗は
致命的である
(‥ )価値があるから
需要があるはずだ
こんなことを考えていると
需要が無いものを
一生懸命に売ることに
なって
生存に必要なカロリーが
大出血状態になる
場合によっては冗談抜きで
死ぬからな
というか、実際に死んだ人を見たことがある。別にそれ自体はなんてことのない話だが、やはりあまり気分のいいものじゃない。
∧∧
(‥ )こういう誤謬を人が
\− やりがちなことを考えると
末路を見るだけでもそれは
不吉ですからね
(‥ )だが同時にそれは
見るべきものだという
ことにもなろうな
ライオンに食われる仲間を見るインパラやガゼルのように、危険を認識し、観察することは重大だ。
これを踏まえれば次のことが言える。価値があるから需要があるはずだ。そう考えて売れもしないものを売り続けて一心不乱に消耗し、死んでいく人間を観察することには価値がある。
∧∧
( ‥)あなたが実例を見て
学んだことって何?
(‥ )会社を辞めるな
夢を見るな
イエスマンは殺せ
∧∧
(‥ )その人
\− どんな最後だったの?
(‥ )知らん
ただ2週間前にたまたま
会っているから
本当に急死だな
そうなると、死因などほとんど二つしかないであろう。ガンでないというのなら、そして、死因が明らかにされなかったというのなら、それだけでもほぼ確定ではないのか?
自分に賛同するイエスマンは殺せ。奴らはお前のことなど考えちゃいねえ。あいつらは葬式の場で可哀想にと涙ぐむだけだ。