2015年10月9日金曜日
合理的な図書館は下種下劣である
∧∧
(‥ )なんか図書館を民営化して
\‐ 企業にまかせたら
貴重な資料を廃棄したり
価値の無い本を
納品したり
本の分類や配置を
訳分からん並びにしたり...
ぼろくそに言われてますね
(‥ )まあ人間の大部分は
人生これまで
本を読んだ事が無いからな
委任でも自主的でもなんでも
いきなり
本の管理をまかされても
どうにもならないよね
いや、俺たちは本を読んでいるぞ!! と言う人間は多いけども、まあ、そういうのはビジネス本かどうでもいいようなものばかりである。
そういう本の何がいけないって、オカルトめいてこそはいるものの、内容は実のところ合理的であることがいけないのだ。
∧∧
( ‥)合理的な人間は
もはや人間とはいえない
(‥ )合理性を
追求する人間なんて
そんなものただの動物だよ
人間などとは呼べん
確かに150年前の江戸時代までなら合理主義でもよかったのだ。だが列強がひしめくこの世界はそうはいかない。
国民は全員資源である。しかしどれが有望な資源になるのかあらかじめ分からない。だから一律に教育をする。
国民は資源である。能力の劣った人間と言えども教育は強制しなければならない。能力において劣っていても、知識があれば最低限度な歯車になれる。最低限度な歯車の品質を全体的に向上すれば、その国家は機械として他の列強よりも優勢になる。
列強の世界はあまりに露骨な生存競争の世界だ。人類の大半がこれ以上は無理と、過労死する限度まで品質の向上は追求される。
人間は個体でばらばらの利益を追求するエゴな存在であるはずなのに、そのエゴを満たすために全員が義務を負わされた。これが江戸時代後に訪れた列強世界の実態。もはや地球に逃げ場はない。
∧∧
(‥ )それを考えると
\‐ 江戸時代に戻りたいと言う人が
いるのは当たり前だよね
(‥ )あの時代の方が
今よりも楽だからな
逃げたくなるのは道理
江戸しぐさとかいう
妄想が捏造されるのも
道理よ
現在があまりにも過酷すぎるのである。だから皆が逃げようとするのだ。
∧∧
( ‥)そして図書館とは列強世界で
国家が生き延びる知識を
伝達保存する場である
( ‥)そして皮肉なるかな
‐/ 列強世界の生き残りで
必要不可欠な
科学と技術は
合理性からは
誕生しないのだ
科学の歴史は非合理で満ちている。考えてみれば当たり前だ。合理性と論理では、前提という偏見があらかじめ含んでいたものしか出力できない。
しかるに新地平は人の偏見の外にある。つまり、科学の進歩は非合理で大いなる無駄から導きだされる。
例えばの話、
スーパーコンピューターが何の役に立つのですか? こんなもの無駄じゃないんですか? 2番じゃだめなんですか?
合理主義者はそう言って無駄を無くそうとする。
そうだスーパーコンピューターなど無駄でしかない。
ところが現実世界では、スーパーコンピューターで計算して次世代の火薬の構造式を求めたりする。これが列強ひしめく世界でどんな意味を持つのか、それは考えるまでもない。
スーパーコンピューターは無駄である。しかし、無駄だからこそ、かように次の勝利への鍵となる。
∧∧
( ‥)反対にいえば
合理性は人と国家を
滅ぼすものである
(‥ )国家と言うのが
国家主義的でいやだと
言うのなら
共同体だな
人は共同体を作るのだ
共同体には無駄が必要だ
世界は大いなる遊戯ぞ
そもそも合理的というのなら、定年退職したものは全員死刑にするべきだし、身体障害者も病人も全員死刑だろう。合理主義者の世界に過労死は存在しないし、鬱病も無いだろう。全員処刑してしまうはずだから。そして、それこそが合理主義というものだ。
かように考えれば合理主義者というものの正体と方向性、よく把握することができよう。
合理主義者が図書館を破壊してしまうのは当然である。
∧∧
(‥ )そして図書館の破壊は
\‐ 共同体を敗北へと
導いてしまうだろう
(‥ )もしもだな
図書館の半分を
漫画喫茶にして
客からばんばん金を
ふんだくって
その金で貴重な資料を
維持管理購入する
そういうのなら
ありなんだがな
∧∧
(‥ )図書館を民営化した企業に
\‐ そういう発想はないみたいね
(‥ )そこがだ
合理主義者の浅ましい
ところよ
そして人間から
浮いている部分であるねえ
狂える合理主義者と違って、大部分の人間は無駄が大好きだ。無駄なことに金を使う。例えば合理的に言えばiPhonなんか売れるような代物ではないだろう。画面は露出しているし、無駄に大きいし、落とせば割れる。こんなもの合理的に考えれば売れるわけがない。
∧∧
( ‥)ところがどっこい
大ブーム
(‥ )合理主義じゃ勝てない
人間は合理主義では
動かない
人間と競争の根幹は
無駄にこそある
大事なのはここよここ
反対に言うと合理主義者が図書館を合理化した時、それに皆が不快感を感じるのはまさにそれが合理的な所行であるからだ。
人間は合理性など評価しない。評価するどころか、浅ましい下種下劣と軽蔑するだけである。