2015年3月31日火曜日
現実逃避のための現実批判
∧∧
( ‥)例えばの話
( ‥)そうねえ
‐□ インテリが他人を
馬鹿馬鹿と罵るのは
平常運転だね
学生時代を思い出せばクラスに必ずいたであろう? 皆があまり興味もたないことに強い関心を持ち、それゆえにその問題について人よりも”知っており”、それゆえに、この問題を知らない皆を馬鹿にして軽蔑している人間。
それをおおっぴらに言うと皆にリンチされてしまうから、言うに言えず、しかし時としてそれが図らずも、何かの拍子でこぼれてしまい、白い目で見られてしまう奴。
∧∧
(‥ )クラスに必ず
\‐ 一人二人いますよと
(‥ )でもな
愚かなのはインテリなのだ
だって、他人を馬鹿馬鹿言うだけで、彼らが言う馬鹿な他人を説き伏せて計画を実現することができていないのだから。
馬鹿も制御できないお前は馬鹿以下ではないのか? という問題である。
∧∧
(‥ )僕ら人間では狂人共を
\‐ コンロトールできないのだ
そういう言い訳もあるね
(‥ )数の多い方が
平均値なんだよ?
そっちの方がまともだって
ことなのさ
狂っているのは
お前たちの方だ
意見を通したかったら、皆に頭を下げ、あるいは遊びに付き合い、根回しをして、そうやっていかないと駄目なのだ。
それが出来ないから、したくないから、だから馬鹿馬鹿言うだけでとどまっているのだとも言えよう。
∧∧
( ‥)実際
クラスに1人、2人は
インテリがいるけども
(‥ )かように
口先だけのインテリは
いっぱいいるけど
根回しをして
ちゃんと物事を
回せる奴って
ほとんどいないだろ?
勝利者になりうる人間は本当に数が少ない。そういうことなのだ。
ひるがえれば、口先だけで、馬鹿馬鹿言って、お役所の書類なんて駄目だと吐き捨てて、そうして小説のようなもったいぶった情緒たっぷりの企画書を書いて皆から白い目で見られる。これがインテリの限界。
賢しいインテリたちの現実批判は現実逃避でしかない。
それは、つらい現実から逃げるための批判なのだ。ある意味、公共の問題を私怨のはけ口として使っているとも言える。それゆえ、彼らの言っている内容が事実でも、それを真面目に受け取るわけにはいかない。
*=>以下へ続くhilihiliのhilihili: 言葉で考えてはいけない