2015年2月1日日曜日
論理キャラが感情的な人間と友情をはぐくむ
ミスタースポックやデータ少佐のように、論理一辺倒のキャラが感情的な人間と交流し、友情を持つようになるドラマを楽しむ。そんなアメリカ社会が日本社会よりも論理的だと思われているってどういうことよ?
∧∧
( ‥)どういうことよ?
(‥ )さあ?
迷信じゃねえか?
あるいは単純に、日本のように歴史が長い社会ではしきたりが出来る。そのしきたりが理解できないので、しきたりや礼を非論理的と言っているだけなのかもしれない。
単に自分に不都合なことを非論理的、非合理と言っている可能性もあろう。
ともあれ確実に言えるのは
∧∧
(‥ )論理的に言えることで
\‐ 確実なものは
実は否定だけである
(‥ )カラスは黒い
これは論理的には
正当化できないのだ
すべてのカラスを見たわけではないのに、なぜカラスが黒いと言えるのか?
カラスは黒い鳥である、という主張は論理的には正当化できないし、飛躍である。理屈が破綻しているのだ。
だがしかし白いカラスを見た時、論理は次のことを確実に保証してくれる。
カラスが黒いという主張は間違いであった
∧∧
( ‥)カラスが黒いとは
論理的に正当化できないけど
すべてのカラスが
黒いわけではない
これは論理的に正しい
( ‥)まあなんだ
‐□ 論理ってこんなことしか
言えないのだよね
これが実のところかなり役立たずであることは明白だろう。
カラスが黒いとは言い切れない。
こんなことを論理的に言われても、ほとんどのカラスが黒いという事実は変らない。そしてそう考えている我々は、そう考えて生き延びて来れたのだ。これはそれなりに正解であったということである。
つまり、人間社会も人間の認識も判断も、論理的でない行為の積み重ねであるし、それで十分なのだ。
∧∧
(‥ )それを考えると
\‐ アメリカが論理的な社会だ
というのは
かなりトンチンカンな
主張なんでしょうね
(‥ )たぶん主張している人は
論理を分かってないよね
つまり非論理的な根拠で
アメリカ社会は論理的だ
そう言い立てているの
だろうな
まあ、これは論理的に確実であろう。