2015年2月1日日曜日
マルクス主義は最後にして最高の論理と知性であった
すべての人は死ぬ
ソクラテスは人である
ゆえにソクラテスは死ぬ
∧∧
(‥ )これが演繹
\‐ しかし
演繹の根底にも
論理的飛躍がある
(‥ )厳密に言うと
演繹そのものではなく
前提が飛躍なんだよね
すべての人は死ぬ
すべての人間の死を観測したわけでもないのに、すべての人が死ぬとどうして言えるのか?
∧∧
( ‥)これは実は帰納で
演繹が使う前提は
演繹では正当化できない
論理的飛躍である
(‥ )まあそういうわけでな
論理的っていうのは
論理では正当化できない
飛躍や思いつきを
理路整然と述べましたよ
という程度のものなのだ
つまり、論理ってのは根本から自己矛盾で馬鹿っぽいのである。ロジカルシンキングとは無自覚で理路整然と述べられた馬鹿思考ということだ。
そしてまた、進化が解探索そのものであり、そこに原理はあっても論理などないように、解を探索するという実作業において論理は必要ない。
この世界に論理は必要ないし、知性も必要ないのだ。
しかしおかしなもので、論理的な人間や知性的な人間はこのことに長く気づかなかった。
∧∧
(‥ )気づかれたのは
\‐ ダーウィンさんからだから
例えば1859年以後だね
(‥ )まあなんだ
1859年というのは
人間の理解の分岐点だな
そういう意味で言えば論理や知性を重んじるというのは、19世紀以前の世界観だとも言える。もうカビが生えた骨董品で、今や使えるような代物じゃないし、真面目に考えるようなものでもない。
だがしかし、プラトンの時代からそうであったように、知性と論理には人気がある。そして多分、その最後のものがマルクス主義だろう。
もちろん知性主義や論理主義に終わりはこない。しかし、1859年の転換点、それとは無縁に、それを理解することもなく、そして皮肉にもほぼ時を同じくして誕生したマルクス主義は古典時代最後の知性ということになる。そしてそれゆえ、それは最後にして最高峰の論理ともなろう。
∧∧
( ‥)でっ?
大失敗したと
(‥ )だから失敗した
むしろそう言うべき
だろうな
論理だの知性だの、そんなもので自分の人生や世界を動かせると、本気で思ったのか?
プラトンからして失敗したわけだし、知性と論理の最後にして最高峰であるマルクス主義に成功する道理などどこにもない。そして知性主義者と論理主義者はこれからも、これまでと同様、失敗し続け、挫折で世界を埋め尽くすだろう。なぜなら知性も論理もまったく無用な存在であるからだ。
これはhilihiliのhilihili: ロジカルシンキングとは死者の服飾の続き