2015年1月31日土曜日
ロジカルシンキングとは死者の服飾
人は死ぬ
ソクラテスは人である
ゆえにソクラテスは死ぬ
∧∧
(‥ )単純な演繹の例だね
\‐
(‥ )論理とは本来
こういうものだな
BはAである
CはBである
ゆえにCはAである
よりよく言えばこう
BはAに含まれる
CはBに含まれる
そうである以上、CはAに含まれる
∧∧
(‥ )問題はこれだと
\‐ 経験的な事柄を
まったく導きだせない
(‥ )昨日も今日も朝が来た
ゆえに明日も朝が来る
論理では
こんなことは言えないのだ
昨日、太陽が上り朝が来た
しかるに
昨日は明日を含まない
そうである以上
明日、朝が来るとは言えない
∧∧
( ‥)論理は明日の朝のことすら
述べることができません
( ‥)そこで登場するのが
‐□ 帰納だな
昨日、朝が来た
今日も朝が来た
ゆえに明日も朝が来るだろう
これまでの経験を一般化して、これまで経験したことが無い事柄までその延長線で語ってしまう
これが帰納
∧∧
(‥ )この推論は論理的には
\‐ まったく正当化できない
(‥ )まあめちゃくちゃだね
言い換えれば、論理は必要ではあるが、論理的に生活する、というのは無理だということでもある。演繹では明日、朝が来ることすら結論できないのだ。これでは生活など不可能だ。
つまり以上から明らかなように、日常生活でも、ビジネスの世界でも演繹と帰納、この両方を使うことが必要なのです。つまり、論理とロジックとは経験と知性の複合です。演繹と帰納を縦横無尽変幻自在に....
∧∧
(‥ )などというのは
\‐ いかにも浅はかな結論で
(‥ )演繹と帰納だけでは
やはり
話にならんのよね
例えばだ
資料と書籍、
遺跡などからすると
ナポレオンは実在した
この推論は
帰納でも演繹でも
正当化できない
こんなことすら帰納と演繹では扱えないのだ。
いや、正当化はできるのかもしれない。
この本に書いてあることは事実である
この本はナポレンについて言及している
ゆえにナポレオンは事実である
∧∧
( ‥)それって論理的に
表現しただけで
ナポレオンの実在を
証明したわけじゃ
ないんじゃね?
( ‥)困ったことに
‐□ 本に書いてあることが
すべて事実ではない
これは
経験的に確かでな
そうである以上、以上の論理は採用されないだろう。
そして帰納法でもナポレオンの存在は正当化できまい。帰納法ではおそらく、この世界の本はナポレオンに言及している、と主張できるだけだ。いや...実際には、ナポレオンについて書いた本も中にはありました、という程度のことしか言えないだろう。
これは実在の論証になっていない。
演繹も帰納もナポレオンが存在したことを論証できない。では論証するにはどうすれば良いのか?
∧∧
(‥ )実のところ私たちは
\‐ 帰納でも演繹でもない
なんかおかしな手法で
理解を手にしているらしい
(‥ )それが仮説発見だ
資料からするとナポレオンってこんな人でしょ?
ごく単純な動作である。当たり前な発想だ。だがしかし、この推論は帰納でも演繹でもない。実は論理的には全く正当化できない突飛な飛躍である。
演繹からみれば無謀な飛躍に見える帰納から見てさえも、仮説発見の結論は顔色が青ざめるような飛躍である。もはや異次元への旅だと言えば良い。
以上を踏まえると、ロジカルシンキングというのがいかにも馬鹿っぽく聞こえてくる。
彼らの言うロジックとは一体なんだろうか?
演繹か? だとしたら明日のことすら分からない
帰納か? だったらそのロジックとは論理的な飛躍だ
仮説発見か? それは方法論ではあるが論理ではない
ロジカルシンキングとか言うけども、一体全体、どこになんのロジックがあるのか?
あるいはこうである
お前の言うロジックって具体的に何よ? ちゃんと言えるの?
そもそもである。ロジックなんてものは、判断において必須でないのである。
∧∧
( ‥)ロジックも思考も
知性がなくても
解探索は可能
そしてそれが進化
確かにロジックは必要ないね
(‥ )それはだな
漫画を見れば分かるのだ
ラノベでも良い。みんながあれやこれやでめちゃくちゃした結果から出てきたのが、あれらである。漫画やラノベ業界から見たらブラック企業なんか笑い話だ。ブラック企業が人間を燃料にして燃やしているというのなら、漫画やラノベは人生に点火して吹っ飛ばして粉みじんにしては次に点火している。
∧∧
(‥ )でもその狂気のさたから
\‐ 宝石が誕生してくる
(‥ )ロジカルシンキング?
笑える冗談よな
漫画やラノベの
足下に及ばぬひ弱な
死に損ないよ
ロジカルシンキングと言っているようでは、なにひとつとして生み出せないであろう。
だが、ここまで来て気がつくことがある。
論理では正当化できぬ飛躍を、ひとつどころか無数に重ねることでついに新しいものを作り出す。
それを見た以上、次のことは言える。
論理では新しいものを生み出せない。
つまり、論理的に言えば、ロジカルシンキングはなにひとつとして生み出せぬ。
∧∧
( ‥)だがこれは大いなる
ヒントである
(‥ )何も生み出せない
いや
何かを
生み出してはいけない
そういう領域がある
それは安定的で巨大な組織
組織は新しいことを一切してはいけない。新しいことはリスクである。皆にリスクを負わせてはいけない。事実、人生を焼き尽くして消費して燃料にするようなことを彼らはしていない。してはいけないからだ。彼らは豊かで安定的で勝ち組の人生だ。だがしかし、だからこそ彼らは何一つとして新しいものを生み出せない。
いや、一切、新しいことをしてはならぬ。
そしてこの事実は、何も生み出せないロジカルシンキングというあり方と極めて整合的だ。
∧∧
( ‥)つまりロジカルシンキングとは
なに一つとして
新しいことをしない人のための
ものなのだと?
(‥ )たぶんファッションだろ?
飛躍の無い世界。
いや、飛躍が許されない世界。
そんな世界で何か仕事するにはどうすれば良い?
毒の無いプレゼンを画期的に見せることが望ましい時、どうすれば良い?
何一つとして新しいリスクを起こしてはいけない世界で、ライバルたちと競い合うにはどうすれば良い?
どんなファッションを着れば良い?
上司と居酒屋にいったり、カラオケにいくのは飽きた。もっとスマートに生きたいなと思った人は、さてどうすれば良い?
∧∧
(‥ )それがおそらく
\‐ ロジカルシンキングだと
(‥ )暇人が窮屈な世界で
スマートに生きるための
ごまかしだろ?
確かに確かに、組織が大きければ漫画やラノベのアイデアをパクって加工して、横取りして、それを売って大儲けできるであろう。そして事実としてそれを悪びれもせずにやっている
彼ら自身は新しいものを生み出せぬ。人生を爆破して消耗するには莫大な人件費がいる。そんなものを企業は支えられない。そうである以上、新しいアイデアを生み出しては”いけない”のだ。パクって加工するのが唯一、許された道である。
では? パクって加工する時に、退屈なプレゼンを画期的にしなければならぬ。どうしたら良い?
∧∧
( ‥)そういう時に着こなす
ファッションが
ロジカルシンキング
(‥ )まあでかいと
安泰なんでな
そういうことにだけ
傾注してしまうものよ
他に出来ることも
ないしな
もちろん、安泰=無限ではない。遅かれ早かれ、組織ゆえの重みで自壊するだろう。その道はじわじわと進行する死の道だ。
だがしかし、先を見据えて新たなことをすれば死の可能性はもっと高まる。改革をしてはいけない。することもできない。自分は勝ち逃げ出来る、それを信じて眼をつむるしかあるまい。
そしてロジカルシンキングは原理的に新しいものを生み出せぬ。ゆえに、それが必要とされる場は、必然、新しいことが許されぬ、すべてが固定された場所となるだろう。なればそれを着こなせ。ロジカルシンキングをばっちり決めて、勝ち逃げの人生を信じて眼をつむってスマートに生きるべきだ。
つまるところロジカルシンキングとは死者の服装である。人生を賭けた生者が着るようなものではない。