2014年11月5日水曜日
言葉や議論では外には出れぬ
∧∧
( ‥)恐竜の本っていうのは
( ‥)あれは売れないんだよね
‐□
出版社はひとつにまとまったひとつの組織
というよりも
編集者という半ば独立した経営者たちの集合体に近い。
そういう編集者たちが皆、それぞれ、孤立に、個々に考えるのである。恐竜の本を作れば売れるのではないだろうか? と。
∧∧
(‥ )でも売れない
\‐ そうしてみんな
あれれ??? と
首をかしげる
(‥ )まあ、売れても他の本と
売れ行きが
たいして変らないのだ
あるいはむしろ
まったく売れない
これを何度も何度も
みんなそれぞれ別々に
個々に経験して
皆がそれぞれ
首をかしげるのだ
こうして、恐竜の本は売れないから止めようよ....そう言われることになる。
売れない理由は色々考えられよう。そもそもそれぞれ別々の本である。理由が同じわけがない。
子ども向けすぎたのかもしれない。難しすぎたのかもしれない。マニアックすぎたのかもしれない。反対に恐竜マニアの層が薄すぎるのかもしれない。絵が悪かったのかもしれないし、価格が高すぎたのかもしれないし、宣伝が悪かったのかもしれないし、販売時期が悪かったのかもしれない。
もっと単純な意見もある。
みんなでばんばん出すから、とっくの昔に市場が飽和してるんじゃねーの?
これが一番正しいのだろう。だが、実際はよく分からない。
∧∧
(‥ )出版は複雑な系だから
\‐ 因果関係がよく分からない
のだよね
(‥ )こうすれば売れるはず
それで売れたとしても
それが図星だったのか
それすらも
分からないんだよな
こうすれば売れるはず。
見ろ! 売れた。どやあ!
これはこれで正論だ。これで理解は一歩深まる。だがしかし、それでも疑惑は残る。売れた理由が、本人が考えたことと全然違っていたかもしれないからだ。
本というのは、そのぐらい挙動が分からないものである。
何度か成功を繰り返して、そうしてようやく因果関係が確からしくなってくる。
そしてもちろん、やってみなければこれすら言う事ができぬ。
∧∧
(‥ )でもこうすれば
\‐ 売れる恐竜の本が
作れるのではないか?
そういう
口先の意見自体は
色々と昔からあるよね
(‥ )その手の議論は
仕事仲間と以前
よくしたものよ
今から思えばこんな議論
ただの馬鹿議論だったが
懐かしいなあ
全員、消えたけどね
というか、議論というものは、そもそも馬鹿で無意味なものなのだ。議論などというものにはまったく意味がない。
そうではなく、確認しなければならぬ。
こうすれば良いのではないだろうか?
そう思ったら、それを作ってみれば良い。簡単な話だ。
確認こそが必要なのだ。口先だけでどうする。
∧∧
( ‥)作れば良い
単純だね
( ‥)仮説を検証するとは
‐□ こういうことさ
議論が無意味なのは
検証がないからだよ
科学の端くれならば
検証が当然
議論だけの科学なんぞ
存在せんからな
もっとも、実のところほとんどの手はすでにやり尽くされて、ほぼ全部の手が失敗している。
議論の結果生まれた画期的な一手とは、すでにとっくの昔に誰かがやって、そうして、なす術も無く死んでいった手でしかないものだ。
斬新な思いつき、というものは、とっくの昔に起きて敗北した死に手でしかない。それはすでに起こったことなのだ。
あるいは例えばこう
詳しい恐竜の本は無いものか?
ああ、残念。そんなものとっくの昔からある。英語ではあるが。
∧∧
( ‥)日本語で欲しいって
言うだろうけどね
(‥ )和訳したって高いから
売れないけどな
というか売れないから
高くなるし
高くなるから
売れないのだがな
そもそも原著のお値段自体が、円に換算するとかなり高いのだ。それを考えれば結論は明白である。英語の原著も売れていないし、売れることを想定していないということだ。つまり本当は内容に問題があると見るべきだろう。内容が難しいとは頭を使うことである。これはカロリーを大量に消費することを示す。カロリーもお金も、出費という点では同じだ。難しい本を買わない人は高いものを買わないし、高い本を買わない人は考えることにも投資しない。
それでも人口という母数が多ければ、少数の変わり者が購買者になってくれる。だが、人口の多い英語圏やアメリカにおける原著でさえも、以上のように高いのである。人口が1億2000万しかいない日本では話にならない。
詳しい原著を和訳して売る。やること自体は出来るが赤字になるだけだ。使命感に燃えて教科書を和訳する。そういう会社もあるが、そうしてつぶれていった会社もまたあるのだ。
日本語の詳しい本が欲しい。その意見は当然だが、つぶれていった会社の人々の前でこんな話をしたら、まあ、顔面にグーパンチを叩き込まれるかもしれない。
お前は口ではそう言うが、実際には買わなかったではないか!
怒りは当然であろう。
∧∧
(‥ )本がないことには
\‐ 合理的な理由があるわけだね
(‥ )反対にだ
難しい本を買わない
これにも
合理的な理由があるのだ
人間は金とカロリーの壁を
突破出来る能力を
持っていないのだな
まあ、こういう抽象的な話はともかくとして
∧∧
( ‥)今、書いている本でも
恐竜の記述を増やすべきかも
しれない?
( ‥)増やすといっても
‐□ 恐竜に関して
1000文字を
割り当てようって
ことなんだがな
本当はまったく削除する方針だったのだけども
∧∧
(‥ )でもそうはいかない
\‐ なんでも恐竜など古脊椎動物を
やった人は
無脊椎をやった人より
就職先があるそうですね
(‥ )恐竜が産出する場所は
限られているので
古脊椎動物を履修しても
研究者になれるわけでは
ないんだけどな
いや、むしろ
なれないんだけどね
だけども
幸か不幸か恐竜は
客寄せパンダとしての
使い道があるのでね
それを扱える人間は
その方面での就職が
やや有利なのだ
そうなると、やはり恐竜の説明が必要となろうし、そうなるとシナプシダの説明ももう少し増やすべきかもしれぬ。条鰭類の説明も増やしたいところだ。いわゆる全骨類とは何か? 真骨類とは何か? そのぐらいの説明は追加すべきではないのか?
∧∧
( ‥)でも、あまりページを
割くわけにはいかないよね
( ‥)思案のしどころであるな
‐□ 古脊椎動物の記述を
増やす
恐竜1000文字
シナプシダと条鰭類に
それぞれ500かな?
哺乳類は今のままで
良いかもしれないが...
∧∧
(‥ )マニア...の人は
\‐ 物足りないかもね
(‥ )マニアってのは 層が薄い
マニア向けに物を売るのは
非常に危険だな
実際
それに挑戦して
全てを失った人が
いるわけだしね
あれを見て
マニア向けに本を書くやつ
なんていやしねえよ
それに、絶滅動物ってのは物が無い、つまり、思いつきや妄想が現実へ収束しない。端的に言うと、おかしくなってしまうものらしい。
これは、ニホンカワウソを追い求めるマニアの身の上に実際に起きたことではなかったか? 追い求めるニホンカワウソの絶滅が進行中、あるいは絶滅が完了してしまった時点で起きたことではなかったか?=>hilihiliのhilihili: カワウソの思い出
実際、恐竜の話は得体がしれないオカルトがわんさと湧いてくるものである。曰く、恐竜は大きすぎて動けなかった。曰く、 当時の地球は重力が低かった。反対にティラノサウルスでも時速40kmで走れた。俺様の考えた色々な鳥進化論や、あるいはとっくの昔に決着がついた恐竜絶滅と隕石衝突にしても、異論があるとまことしやかに言われる有り様。
これらは全部思い込みだが、論文に眼を通す事が無い故に、彼らはごく単純で基本的な誤りに気がつかない。そのまま、延々と何年も議論して人生を無駄に消費する始末。
存在しないものを考えるとは枠が無い、ということであり、それは狂気と妄想へ拡大して収拾がつかなくなる。科学はそれを阻止できるが、残念、人間の脳はわずかなカロリーを出し惜しみしてそれをしない。
∧∧
( ‥)そして本はまったく
売れませんよ、と
( ‥)だからな
‐□ 意見も思いつきも議論も
そんなものは
どーだって良いんだよ
書けば良いだけ、作れば良いだけ、実行すれば良いだけ、それだけだ。
人間の心は牢獄だ。人間の思考はすでに知っている事から作られた牢獄でしかない。人間の理解とは牢獄なのだ。
ここから出るには結論を現実と照らし合わせなければならない。口先ではなく実際にやってみる。これがなくば外へは出れぬ。
言葉なんぞでは外には出れぬ。
*2014.11.08 追記:以下へ続く=>hilihiliのhilihili: 客は購買層ではないし、言う事とやってることが違うし