2014年10月13日月曜日
検索術で論理と言った瞬間に理解は詰む
∧∧
( ‥)電子化されていない情報は
存在しないのと同じだ
と言う人もいるよね
( ‥)それは
‐□ ”人目につきません”
というだけの話なのだが
だが、 しばしば人はこれを拡大解釈するのである。
電子化されていない情報は無価値であると。
∧∧
(‥ )好きなあの子の好みのお店が
\‐ 検索しても分からない
(‥ )はい、無価値な情報
なんだね
人目につかない=無価値である、ではない
∧∧
(‥ )本を読まないと駄目だよ
\‐ そう言われると
激怒する人が
必ず出てくるけども
(‥ )そりゃああれだ
知っている事だけを
知っていた
だから何もかも
知っているはずだったのに
実のところ
知っている事だけでは
何も知らないことと同じ
そう指摘されたから
あせっているのだなあ
知っていることは知っていることだけだ。知っていることは何の保証にもならない。
∧∧
( ‥)知らないことを検索するには
知らない言葉と概念を
打ち込まなければならないが
それを知るには
まず知らないことを
知らなければならない
この矛盾
( ‥)時々、ネット時代の
‐□ 検索術や情報戦略を
論理で語る人がいるだろ?
あれ、終わってるよね
論理は自己完結している。論理とはすでに知っている事だけから成る体系だ。そうである以上、論理と言い立てた瞬間に、それはもう、私は自分の牢獄から一歩も抜け出せないと、自ら宣言したに等しい。
検索術で論理と言った瞬間に、お前の理解は詰んだのだ。
ちなみに
∧∧
(‥ )これって別に
\‐ ネットやgoogleに限った
話じゃないよね
(‥ )本がそもそも
そういうものだったからな
それはいわゆる読書人の理解を見れば分かることである。壮大な知の体系を築いているが、彼らは元の理解から一歩たりとも出ていない。知っていることだけをただ、ごてごてと飾り立てているだけだ。おまけに外からみるとあからさまに間違っておる。
いや、むしろ自分の小さな夢を守るために、あえて嘘と間違いを集めて武装し、飾り立てるのだ。そこにあるのは自分の肯定であり、自己完結であり、そして自己欺瞞でもあり、理解はやはり一歩たりとも進んでいない。
∧∧
( ‥)言い換えれば
ネットは本の限界を
突破することに失敗したと
( ‥)まあ、理解するのは
‐□ 人間だからな
電子化を持ってしても
人は人の限界を
越えられなかった
そういうことだよね
これはhilihiliのhilihili: レプトレピスの壁の続き