2014年6月28日土曜日
これが理解のスタート地点でしょう
女子大生を酒と薬で泥酔させて同意の無いセックスをするのは許されるのに、エロ漫画が規制されるのはおかしいではないか。
hilihiliのhilihili: そのレイプは犯罪ではなく、そして排除は確率の問題でもないの続き
∧∧
(‥ )という声があるけども
\‐
(‥ )いや、先日、
新宿コマ劇場前で起きた
泥酔女子大生から
得るべきことは
そういうことでなくてだな
ここから明らかなのは
:女の子を泥酔させて同意のないセックスに及ぶのは合法である
:エロ漫画は排除すべき違法存在である
∧∧
( ‥)社会は以上の二点に基づいて
動作しているのである、と
( ‥)つまりまずこの事実認識が
‐□ 最初にあるべきなのだ
女の子を泥酔させて犯すのは合法である、という主張は何事だ! と怒る人もいるだろうが、これは良い悪いの問題ではない。現実は事実としてそのように振る舞っているではないか、というだけの話。
道徳や倫理に基づいて現実から眼をそらすのは正義感の強い人間にありがちな動作であるが、それは本末転倒と言うのだ。
∧∧
(‥ )もちろん、同意無しで
\‐ 女性とセックスするのが
絶えず合法であるわけでは
ないですよね
(‥ )女の子の自宅に侵入して
レイプした犯人や
小学生の女の子を
犯しまくった
犯人に対しては
普通に、
”人権とか忘れて
そいつ殺そーぜ”
という話になるからな
思うにやはり、現在ある人間関係の外からいきなり襲いかかる存在は、抹殺の対象となる、そういうことだろう。
∧∧
( ‥)被害の確率は非常に低いけど
クマやサメが駆除の対象に
なるようにね
( ‥)反対に、閉じた人間関係の
‐□ 内部で起こる事柄は
自己責任ということに
されがちだ
そもそもそれ以前に
他の人間関係の内部で
起こる出来事は
自分とは関係ないからな
大学のサークルとコンパの内部でレイプが生じようが、なんだろうが、それはその内部の話で”しか”ない。そうである以上、サークルの外にいる人間たちからすれば危険や恐怖を共有出来ない、とも言える。
そもそも、サークル(閉じた環)なのだから、そんな内輪の出来事なんか外部の人間からすれば知ったこっちゃないのは当然だ。
実際、”女の子を泥酔させてレイプするのが認められて、エロ漫画は規制されるって、これはどういうことよ? おかしくね?”という表現自体がそれを物語っている。
∧∧
( ‥)”こういうレイプは見逃されて
エロ漫画が規制対象になる”
この疑問が共有されている
(‥ )今回の事件において
サークルの外にいる
人間からすれば
問題として共有できる
部分はここだけだ
とも言える
もちろん、ここで話は戻る。
この事件で明らかになったことは、サークル内部でレイプすることは合法であるが、エロ漫画は違法である、世間はそう考えている。そういうことであり、これは道徳だの倫理だの権利だの人権だのの問題ではなく、単なる事実である。
ここが重要。
∧∧
(‥ )そしてやはり危機感とは
\‐ 可能性の問題ではない
(‥ )自分が巻き込まれるか
どうか?
問題になるのはそれだけだ
そういうことだね
確率の高い低いではない
だからつまり、
エロ漫画を読んでいる人間が性犯罪を犯す可能性ってほとんど無いでしょ?
という反論は意味をなさないだろう、ということは分かる。
∧∧
( ‥)見方を変えれば
エロ漫画の規制派は
可能性とか確率とか
因果関係の論証とか抜きに
単に危険だ、という思いだけで
行動しているだけだと
(‥ )確率と関係ない排除
これは
因果関係の論証に
基づいたものではない
ことを示している
因果関係の論証とは確率に基づいている。逆に言えば、その想いが確率と無縁の想いである場合、それは因果関係の話ではない、ということになる。
つまり、エロ漫画の規制に理由はあっても、根拠は存在しないということになる。
∧∧
( ‥)規制派に根拠はない
( ‥)原理的にありえない
‐□ まず確実だな
つまり、エロ漫画の規制派に根拠を示せ、と言っても無駄だということになる。そもそも彼らには根拠という概念が原理的に存在しないのだ。彼らはただ単に動作しているだけだ、それは以上のことから明らかだろう。
∧∧
(‥ )でもエロ漫画の規制とは
\‐ 非常に危険であろうと
(‥ )規制というのは
理想状態を示す
そういうことだね
理想状態を示すとは、”理想状態で物事がうまく動くはずだ”、そういう信念なり、思いなり、予定なり、あるいは計画なり見通しがある、ということを示している。
∧∧
( ‥)つまりこれ、
俺のプログラムにバグはない
と言うようなものである
(‥ )エロ漫画を規制しようと
する一方で
クールジャパンとか
ほざきはじめるだろ?
奇麗な部品だけで物事を
構成すれば
良いものだけが
生産されるはずである
こういう
頭でっかちな発想は
俺のプログラムに
バグは無いと同一だよね
∧∧
(‥ )もちろん、こんなこと
\‐ うまくいくわけがない
(‥ )理想的に誤謬無く動く計画
そんなもの
理論的にありえないからな
うまくいかないどころか
大事故が起こるだろう
そこが問題なのだ
この手の連中は自信満々に
ありないことを
始めるからね
考えてみれば、歴史とは”俺のプログラムにバグはない”と本気で言いはじめるような、そういう頭でっかち達が惨劇を生み出してきた歴史でもあった(*例:マルクス主義)。
∧∧
( ‥)そして彼らには
根拠はなく
因果関係もない
( ‥)旧コマ劇場前に女子大生が
‐□ ごろごろという事件は
いわばそういう人々を
理解して把握する
スタート地点であるね
つまり、女の子を泥酔させてレイプするのは世間的には合法であること、エロ漫画は犠牲者の有無や確率と関係なく違法であること、これを世界を理解する際の基礎としなければならぬ。
....ちなみに
∧∧
(‥ )レイプってその多くは
\‐ 知人、友人、親族間で
起こるのだよね
(‥ )この事実もまた
以上の基礎を
確かなものとするのだ
泣き寝入りの結果だろうが、なんだろうが、それが表沙汰にならないのは、そうしたレイプが”認識論的には合法”であるとされていることの証拠だ。また、そうでないと困る連中が非常に多いことも示唆している。そしてそれは一体全体誰なのか? それはこういう時にこそ口をつぐんだ連中ではないのか? そういうことも暗示している。
またこういう文化から見れば、やはりエロ漫画は汚らわしい害悪であるということになろう。正しいのはレイプすることだからである。つまりエロ漫画を見てするオナニーはレイプに比べるとダサいものであり、取り締まるべき犯罪行為なのである。