2013年12月24日火曜日
経験が必要な場面で論理という机上の空論を持ってくる
例えばこんな見解が曰く
日本は技術立国というがそうではない。アメリカなどには何十万、あるいはそれ以上に及ぶ部品を組み立て作るような巨大技術、例えばジャンボジェットやロケットのような技術がある。しかし日本にはない。
これは、日本人が論理思考をすることができないからではないのか?
∧∧
(‥ )論理思考ですか…
\‐
(‥ )その結論を論理的に
証明してもらいたい
もんだな
たくさんの部品を機能するようにきちんと組み上げる
これには論理思考が必要だ
この結論を前提から証明せよ。
簡単なように見えてこの証明は無理っぽい。というか、間違いだろう。
論理が現実を説明できるか? それは現実を見なければわからない。テストしなければ分からない。この事実、ただ単にこれだけでも、論理的=実際に動作する、が成り立たないことは明らかだ。
∧∧
( ‥)むしろ先の結論は
論理でも演繹でも
正当化できず、
帰納法や経験でも
正当化できない
そういう推論過程ですよね?
(‥ )推論というか、
てきとー、に
結論を持ってくる
手法だなあ
別に、てきとー、な思いつきだから悪いってわけではない。世の中も人生も、てきとー、な思いつきがないとやっていけないんである。
∧∧
(‥ )問題は、論理と言いつつ、
\‐ 飛躍したてきとーな
結論をもってきて
それを論理だと思い込んでいる
らしい
(‥ )やってることは普通だけど
論理で正当化しようと
いうのは、いただけないね
むしろこれ、単純な話で、まっ先にその業界を制覇した企業が一番経験値が多く、しかし人件費がかさむから外注の割合が多くなって、その代わり、経験に基づいてすべてを統括するゼネコン業に特化しただけの話じゃなかろうか。
∧∧
( ‥)でも結果的に、この話は
深刻な事態を物語っては
いるのですよね
( ‥)勝ち組に勝つのは
‐□ 容易なことじゃない
継続と持続と経験が必要だ
そういうことだからね
思うにだからこそ、経験が必要な場面で論理と机上の空論を持ってきてしまうのは、さてもさても、いかがなものか?