2013年10月25日金曜日
分析力が論理とは極めて混乱的
なんで世の中の人はこんなことも理解できないんだ。だから世の中は悪いままで....
∧∧
( ‥)自分より馬鹿だと思っている
その相手を
コントロールすることすら
出来ない人の絶望
(‥ )さてー?
絶望的に頭が悪いのは
どっちかなー?
論理は、分析力と構成力よりなる。そういう主張を見た。
∧∧
( ‥)論理って分析なの??
(‥ )いやあ、違うんじゃね?
三角形を分析すること。それは何らかの証明になるのだろうか?
∧∧
(‥ )分析した結果、証明を
\‐ 導きだす事は出来るの
でしょうけどね
(‥ )円がある。
円の中心を通る直線がある
その直線を一辺とし、
円に内接する三角形を描く
中心を通る直線を底辺とした時、円周に内接している頂点とでもいうか、その角は、何やら直角に見えるのだけども....、これってどうよ?
∧∧
( ‥)仮に直角だとして話を進める
(‥ )どうしようかなー
何気に円の中心から
頂点にまで補助線を引く
なんかピンと来たような
こないような...
補助線を引いた時に二つの三角形が出来る。これはどちらも二等辺三角形だろう。
∧∧
( ‥)少なくとも、円は中心から
等距離にある線、あるいは
点の集合だ、というのなら
そうでしょうね
そうでないなら
二等辺三角形にはなりえない
(‥ )ああ、じゃあ
そう定義しようか
円はある点から等距離にある点の集合だ。
だから中心から円周のいかなる任意の一点に直線を引いても、それはすべて半径、つまり等しい長さになる。
すると...、線は点の集合だってことにすればいい。
だから以上の話題で補助線を引いてできた二つの三角形は、それぞれ二等辺三角形である。
∧∧
( ‥)色々考えて設定して調整すれば
円の直径を辺として
円に内接する三角形の頂点は
すべからく直角である。
そう理路整然と述べることが
出来る。
(‥ )そうして最後に出来た証明
それ自体は
論理的に述べられて
いるよね。
だがしかし、ここまでに至る過程、なんとなく三角形に補助線を引いたり、円はある点から等距離にある点の集合だとか、その設定なり定義なりを導いた以上のような過程、これは論理的か?
∧∧
( ‥)違うでしょうね
( ‥)大きさの無い点を
集合させると線が出来る
数学の授業において
そこで、はあ? と
疑問符を抱く人は多い。
考えてみれば当たり前だ。大きさの無いものを集めればそれが”ある大きさ”を持つようになるって、なんだよそりゃあ? という話。
真面目に考えれば意味不明だ。だが、以上のように恣意的なものだ、と考えれば、ああそうした方がいいでしょう、という話になる。
∧∧
( ‥)点から等距離にある点の集合を
円とする、だって
怪しさ大爆発でしょう
(‥ )多分、留め具と糸と
そして筆記用具があれば
円を描けるとか、
そういう経験的な類推から
きているのだろうけどね。
でも、厳密に考えれば、そうして描いた”円”が一点から等距離に描かれるわけがないんである。
∧∧
( ‥)つまり、一点から等距離に
描かれた円というのは
理想化であるし、
この世にはないイデアを
想定しているとも言える
(‥ )そんなもの、
どこが論理だよ、
これを踏まえるに、分析力が論理です、というのは極めて混乱的な言及だろう。
∧∧
(‥ )でも、そういう主張をする人は
\‐ 多いみたいですねえ。
しかも、どうやら起業家とか
経営者とか何かの指導者に
多いようだと
(‥ )人間は理路整然とした
論拠に弱いのだ。
だから理論武装するし、
経営者は武装が必要だ。
さもないと連中、
走れないからな。
だけど理論武装が
てきとー
激しく、てきとー
分析力が論理って、これはあれだろ? 自分の望む結果論から都合が良い定義を作り出して、それを恣意的に配置して、これは論理的でございます、だからほら、俺の言ってること正しいの、だからお前ら俺の言う事を聞け、そういう雑な主張だべ。
∧∧
(‥ )人間の思考は論理だけじゃなく
\‐ むしろハチャメチャだし、
ハチャメチャだから
有意義なんですけどね
(‥ )それは良いが
ハチャメチャと論理を
区別するどころか、
ハチャメチャそのものを
恣意的に論理に見せかけて
論理、論理ー、と
振り回すってのは、
凶器を振り回すのと
同じだろ。
だからなのだろうけども、この手の論理を振りかざす経営者とか指導者とかと話すと、雑でげんなりする。