2013年6月27日木曜日
無駄の誇示
昔のおたくはなんでも知っていた。でも今のおたくは何も知らない。
この一文は
∧∧
( ‥)あなたにとっては
ショッキングであったと
( ‥)どういう文脈で言われたか
–□ それにもよるが、
ぎょっとさせられる
言葉だよね。
これは情報の量を
誇るのみで
情報の妥当性をどう
計測するのか?
それに関する価値観が
まるで見当たらない。
∧∧
( ‥)妥当性と、それを計測する
方法論についてはすでに
解決済みだと思っているの
ではないですかね?
(‥ )おそらくそうだろうな
そして、それは今も昔も
共通だと思っている。
そういうことだろう。
さもなければ、昔と今を比較した時、多さで勝負をかけたりはしない。
あるいはこう。
情報の解析手段は分かっているのだから、情報を多くすれば問題は解決できる。つまり知っている情報が多ければ多いほど良い。
ということなのだろう。
これは、言い換えれば、情報の量に比較した時、解析手段の重要性は極めて低い、ということなんだろう。少なくとも、解析手段は取るに足らないもの、あるいは解決済みだと(無自覚にせよ)思っていないと、こんな比較は出てこない。
∧∧
( ‥)さもなければ
知っている、
知っていない、
これを重大な争点とは
しないだろうと
( ‥)だがまず残念なことに
–□ 情報が多ければ
多いほど良い、
これは実は
誰も信じていないの
だよね。
その子を口説く時に相手の指のしわの数を考慮する者はいない。
あるいは例えばこう。
砂場の砂粒のすべての形状。これを全部データ化したら膨大な情報が得られる。
∧∧
( ‥)でも、普通はそんなこと
しませんよ、と。
やるにしても少数を
サンプルにするだけで
十分でしょうしね。
(‥ )前、なんかあったよね
粒子を球体として記述すると
山が再現できない。でも、
粒子が角張っているとして
記述すれば山を再現できる。
∧∧
( ‥)言い換えれば、角張っている、
それが分かっていれば十分
なんであると。
( ‥)つまりそれ以上の情報は
–□ すでに余計なんだよな。
個々の砂粒の形状まで
知る必要はない。
こんなことは誰でも分かっている。
ということは
∧∧
( ‥)誰でも情報は等価でないこと
重みは同じでないこと、
これはもう全員知っている
(‥ )このように多ければ良い、
それはすでに間違いだ。
∧∧
( ‥)でも人によっては言うでしょう
すでに無自覚に重みを
判定できているのなら、
集めた情報はすでに価値ある
ものなはずだ。
(‥ )ならば量が多い方がよい
はずだ、とね。
それも間違いなんだよな。
例えば、分岐学的、あるいは最節約的に言うと、系統解析において使えるのは派生的かつ、共有されているものだけだ。それ以外の情報は使えない。このことで、専門家でも素人でも、大混乱が起きた。これを不服とする意見を吹聴した本や記事は幾らもある。
∧∧
(‥ )つまり解析手段に沿った
\– 重要で意味ある情報を
チョイスしなければ
ならない。
(‥ )その要求に人は戸惑う。
つまり、解析手段について
みんな無自覚なんだ。
しかし情報は解析手段に
応じて集めないといけない
それを考えると、冒頭の
言葉はやはり
ショッキングだよ
解析手段を申し述べていないにもかかわらず、質ではなく量しか述べていない。それはなんの意味もない、ということを言っているだけ、ではないのか?
∧∧
( ‥)意味もないことを全力で
する、それがオタクだ、とも
言えそうですけども。
( ‥)それだと、
俺は無駄なことを
これだけしている
だから偉いのだ、
という誇示でしかないのよな
確かに、その場合だと、量しか誇るものがないんである。
∧∧
( ‥)整合的?
(‥ )整合的だね。