2013年6月27日木曜日
対数はなんとなく計算するために作られました
hilihiliのhilihili: オタクでもそうでなくても、各々死ぬしか無かろうの続き
ある時、こんな話をネットで見た。
対数っていうのはね。かけ算を足し算に変えて、なんとなく正しい答えが出せるからってことで数学者が考えたんだよ
∧∧
( ‥)...なんとなく正しい答えが
出せるってそんな馬鹿な
(‥ )たぶん、あれだろ?
大規模な数の計算でも
手早く、しかも
有効な値が出せる
という部分が、
中途半端に劣化して
こんな要約に
成り果てたんだろう。
ごく簡単な例で言うと、
16×256は?
∧∧
( ‥)16は2の4乗
256は2の8乗
(‥ )つまり4+8=12
2の12乗が答えだね
つまり4096
∧∧
(‥ )これはなんてことがない
\– 規模の計算ですが、
はるかに桁数が多い計算も
対数表をあらかじめ作って
おけば足し算で導きだせる
(‥ )だから対数を発明した
17世紀のジョン・ネーピア
「不思議な数 eの物語」
E.オマール
岩波書店を参考にすると
ネーピアは対数表を
作るために
20年かけたみたいね。
1614年に出版された彼の対数表は、その後、10を底にする形に置き換えられた。その本が出たのはさらに10年後。以来、計算機が普及する1970年代まで、対数、対数表、対数による計算とそれを行う道具、つまり計算尺は科学や技術の現場では重要な技であり、道具であった。
なんとなく正しい答えが出せるって、そんな馬鹿な評価で収まるような発明では断じて無い。
∧∧
(‥ )このあたり、Wikiの対数の
\– 記述や
=>対数 - Wikipedia
ネーピアさんに関する
記述
=>ネイピア - Wikipedia
計算尺に関する記述
=>計算尺 - Wikipedia
はまだしもまともな方、
というべきなんですかね
(‥ )まあ、どうだかねえ、
少なくとも
分岐学の記述にあるような
=>分岐学 - Wikipedia
こんなくるくるぱーで
頭がうんでる記述よりは
まっとうなのかもな。
いずれにせよ、分かることがある。
∧∧
( ‥)対数はなんとなく計算する
ためのものです
( ‥)情報はさ、仮にすべての
–□ 原価や人件費を
0にしても、
ただにはなりえないの
だよね。
仮にすべての情報の価格を0にして並列させても、人にとってそれらは0ではない。
なぜなら人の理解も、使える脳の容量も、投資できる時間も、それらは有限だからだ。
つまるところ情報が全部ただになって、すべてが等価になったと仮定しても、読者が情報に支払う金額はただにはならないし、等価にもならない。なるわけがない。
∧∧
( ‥)そして、安易でいい加減で
分かりやすい情報を人は
集めてしまう
( ‥)大規模計算をするために
–□ 20年かけた工夫を
4世紀に及ぶ活用の
実態を、
”なんとなく正しい答え”
などという安易な一文に
劣化、要約してしまう
わけだろ?
ひどい有様だよね。
そしてこれが僕らの
脳の限界なんだ。
ただの情報は私たちの脳にとってもただの情報でなければならない。ゆえにそんなもの、ろくでもないものに決まっているのだ。事実、この有様である。
∧∧
(‥ )計算尺が使われなくなって
\– 一世代以上が経過した、
それも大きいのでしょうね
(‥ )もう計算尺の本も
見当たらなくてな、
古本屋で探したり、
ネットで検討つけたり
もっと遠くの図書館まで
足を伸ばそうかと考えたり
するわけよ。
∧∧
(‥ )エンリコ・フェルミさんなんか
\– 自分よりでかい計算尺を
自作したみたいじゃない
ですか
(‥ )星の内部構造を調べるだか
温度分布を計算するだかの
ためにね。
写真で見ただけだけど、
もっと詳細を知りたいね
しかし、こういう工夫や計算はわずか一世代でなにもかも忘れ去られた。
そして、ただの情報として残ったのは、”対数はなんとなく計算できるから工夫されたんだぜ”という愚かな要約、それだけと成り果てた。
ただの情報はこのように無尽にある。しかし、価値もほとんどない。ただだけに、その価値は近似的に0かあるいはマイナスでさえあるのは明白だ。
そして調べるならwikiを使うな。wikiの間違いを探せ。