*のさらに続き
( ‥)考えてみればさ、人間の
歴史は”分かった”や
”理解した”という確信が
覆される歴史であったのだ
∧∧
( ‥)まあ、より良い理解なり
説明なりが次々に出てくる
歴史でしたからね
そういう意味では、科学は真理を追求する学問である、というのはまるで正しくない。破壊そのものが目的ではないにせよ、真理と思われたものを破壊するのが科学であった。
ではひるがえるに、常日頃、僕らが、分かった、と得意気にいうその満足感はなに? もしかして満足感だけか?
∧∧
( ‥)...あなたに、「分かった? 何が
分かったのだ?」と質問され
続けていやになった、という
ご意見がありますけどね
(‥ )それでも問う、
無限にだ
私の、あなたの、俺の、お前の、分かった、理解した、とは、一体どのぐらい妥当なのだ? それを適切に説明した上で論証し、その理解はテストに対抗できるか?