( ‥)本はしばしば他の色々な
本からの引用で出来ている
∧∧
( ‥)他の人の成果を踏まえたもの
ならそりゃあそうでしょう
(‥ )人は物事を理解する時、
”これはこうだろう”
いわば仮説を持って相対し、
それに基づいて解釈する
∧∧
( ‥)仮説を用いて解釈という仮説を
新しく得る。
しかし、その本それ自体が基礎として踏まえているのが他の本の知見ならば、他の本を把握した上で手にした仮説を持って解釈しないとその本の把握に失敗するだろう。
( ‥)1冊読んで分かった、
10冊読んで分かった
なんだろうな、これは?
∧∧
( ‥)系統立てて読んでいるのなら
効果的でしょう。
系統立てて読んでいるだろうか? このジャンルに興味があるのだ、と得意気に言うのは良いが、それでも単にばらばらの知見を楽しんで読んでいるだけだったらどうなる?
照らし合わせて読んでいないならどうなる?
ここどうなっているのだろう、芋づる式に次々に文献を遡らない場合、一体どうなる?
その本を読むために読まなければいけない本を読むための本を読むために読まなければいけない本がある。
では、ひるがえれば、簡略化されているがゆえに分かりやすい本を読んで分かって完結した場合、それは一体全体、なんだ?
∧∧
(‥ )そしておそらく世間的には
\– 同じ作者の本とて、2冊
以上は読んでいない可能性
=>
*
(‥ )僕らは致命的なことを
しているのではないのか?
思うに、書評のほとんど全部がゴミくずなのはひとつにはこれが原因。