2020年6月15日月曜日
自由とキリスト教の米国は国民化に必然失敗する
∧∧
(‥ )でもアメリカの
\− 黒人差別って
どうすればよかった
のだろうね?
(‥ )あれは黒人差別も
原因だろうけど
教育を受けさせない
教育の必要を感じない
そこが要点に
思われるけどな
しばしば言われること。差別だけが原因なら、アジア系の米国人が、黒人よりも経済的に上にいるというのはおかしい。アジア人は子供の教育にお金をかけるが、黒人はそうではない。これがいけないのではないか? という指摘。
∧∧
(‥ )これは単に
\− 文化の違いだよね
アジアは中国の科挙の
影響があって
読み書き算盤があれば
出世できるという
文化的信念がある
(‥ )反対にアフリカには
官僚を試験で選出する
帝国は存在しなかった
からな
奴隷として拉致された
人々とその子孫は
こういう信念は
受け継がなかったはずだ
そもそも無いんだから
では? アメリカは奴隷解放をした時点で、いやせめて公民権運動が起きた60年代でも良い、その時からでも強制的な教育と修学、就職プログラムを課すべきではなかったか?
∧∧
(‥ )でもそれって自由を標榜する
\− アメリカではありえない
政策だよね
(‥ )社会主義体制なら
できたかもしれんけど
よりによって冷戦中だしな
米国が社会主義化すること
これはありえない
いや、さらに運が悪いことに、公民権運動の次の10年代。つまり1970年代になるとフリードマンたちが政府は介入をやめて自由市場にまかせよ、さすれば福祉も富の再分配も教育もすべて自動的にうまくいく、そう言い立てて、それが実行され始めてしまう。
すなわち今に至るリベラリズムの始まりだ。
∧∧
(‥ )せめて70年代から
\− 黒人の人々の修学や
就労、職業訓練を
組織的に行ってれば
目覚ましい結果が
得られたでしょうに
リベラリズムのせいで
それも無くなった
(‥ )アメリカは自由の国だし
キリスト教のせいかな?
ボランティアや
寄付には熱心だけど
組織的に訓練して
国民化を強制することは
苦手だよね
キリスト教はもともと、ローマ帝国に欠けていた福祉を寄付で実現するという役割を担うように発展してきた。日本だと村や街区という組織で行うことを寄付という神事で行う。ここには組織的な訓練という側面がまったく欠けている。
∧∧
(‥ )そのあげくに
\− 黒人の修学、就業訓練を
放棄してきた
リベラリズムが
今になって
黒人暴動を自分の利益に
使いよりますか
なんという皮肉と矛盾か
(‥ )今のアメリカの有り様は
必然の結果なのだね
考えてみればトランプ政権の前、8年間を担当したオバマ大統領ですらそんなこと全然していなかった。なるほど、アメリカの自由はアップル、マイクロソフト、グーグル、Amazon、フェイスブックといった巨大新興企業を生み出した。しかし社会的な組織力には欠けていたし、巨大企業は国民を幸せにはしなかった。こうして、かつて使い捨ての労働者として拉致してきた人々の子孫を国民化するという最重要課題を米国は必然的に失敗した。そういうことであったように見える。