2019年10月3日木曜日
異能者は黄昏の中で立っていた方が良いと思う
∧∧
(‥ )漫画家の山本直樹さん
\‐ というと
80年代に森山塔の名義で
エロ漫画を描いていた
人ですけども...
(‥ )検索かけたら
たまたまtwitterが
引っかかってきてな
思うところあって
はじめましたという
紹介とともに
憲法護持のアイコンと
鳩山首相肯定
民主党政権肯定
ネトウヨ否定という
内容が引っかかってきて
なかなかにショッキング
ちょっとびっくり仰天
漫画家や芸能人、あるいは芸術家が政治を語ると、それはしばしばいわゆる左翼となり、そして皆から嫌われる。
∧∧
(‥ )山本さんもその一人に
\‐ なったのであると...
でもこういう事例は
この人に限らないよね
これはなぜ?
(‥ )漫画家や芸能人
芸術家ってのは
外の民だからな
異能の人間とは外の人間だ。異能であるから中にいることができず、外へ出るし、外へ出ることを許されるのは、それがそもそも異能だからである。
∧∧
( ‥)要するに漫画家や芸能人
芸術家は外部の者
中から生まれたよその者って
ことだな
(‥ )時間を守らない
礼服を着ない
挨拶をしない
年賀状を書かない
催事に参加しない
これが許されるのは
異能だからであって
異能ゆえに
よそ者扱いされて
いるからだよ
だから異能者は社会に口出ししてはいけない。少なくとも、そう皆に思われている。これは確かだ。事実、口出しすると嫌われる。
そりゃそうだろう。
参加もしていないのに口出しをする。
これは、参加しないまま社会の利益だけを吸おうとする行為であって、ようするにズルだ。
だから駆除の対象になる。人類はズルをする個体を検出することが非常にうまいので、必ず駆除対象になる。
∧∧
(‥ )それでもつい口出ししてしまう
\‐ ついつい政治的な発言を
してしまうか
(‥ )だけどそれは
顰蹙を買うだけなんよ
そもそもそだ
漫画家とか芸能人とか
芸術家とかはだな
世界の境界線に
立っているものだ
異能者は境目にいる存在だ。幽霊のように昼と夜の境界線である夕暮れの中、あるいは空間区分の境界線である交差点に立っている。
実在もしない死者の霊がなぜ認識論的には存在を許されているか? それは狭間にいるからだ。
幽霊は現実に口出しできない。これと同様、生きていても、異能者は現世に口出しするべきではない。
∧∧
( ‥)まあしても
いいんだけどね
(‥ )してもいいけどよ
必ず顰蹙を買うからね
黙ってた方がいいよ〜
異能者の諸君は、親戚の集まりや地域の集まりの中で、あるいは学校の中で自分だけが浮いていたことを思い出せ。
異能者は黄昏の中で黙って立っていた方がいい。もし勇気があるのなら日光の下に出ても良い。しかしどうせ耐えられないだろう? ほら、体が焼けてるじゃないか。
異能者は日光の下では灰になってしまう。社会の仕組みと付き合いの中では肉体が滅びてしまう。だから異能者の言葉はどうしても皆と反対になり、どうしても現状を否定するものとなる。
日光を好むナメクジなどいない。だからナメクジは必ず太陽を呪う。しかしその呪いは人間にとっては侮辱だ。だから人間によって駆除されるし、だからこそ、異能者の言葉はいちいち皆から顰蹙を買うものとなる。
そんなこと全員子供の頃から知っているはずではなかったか? だからこそ、異能者はただの傍観者でいるべきなのだ。異能者の言葉は人の耳には届かない。そもそも異能者の言葉に社会的価値などないからである。幽霊の言葉に力などないように。