2019年2月13日水曜日
バビロニア数学
長いこと放ったらかしにしていたHPのコンテンツ。改めて見ると内容を書き換える必要がある...というのもさることながら
∧∧
(‥ )HPを作成していた
\‐ HTMLがあまりよろしくない
状態だったりしますなあ
(‥ )不具合とは言わないまでも
色々おかしいな
修正せねば
やれやれ面倒臭い
ともあれ、時間を見て、少しずつ書き換えていこう。文章もHTMLも。
そして書き換えるだけではつまらない。今の仕事の補完も兼ねて、科学の歴史を書き足していこう。
∧∧
( ‥)しかし最初のバビロニア数学で
いきなり難題
( ‥)数学自体の話は
‐/ 簡略に書いていいんだ
=>http://www5b.biglobe.ne.jp/~hilihili/science/babylonian-mathematics.html
問題は年表である。年表とは簡略の極み。しかしここに落とし穴がある。
古代メソポタミアの年代学は、日食の記述とその日時のように確定している箇所もある。そしてそういう確定箇所を足がかりに全体を復元していく。例えば誰それは誰々の子であり、その統治は何年である。こういう記述から年代を加算、減算しながら遡り、他の文献などと照らし合わせて整合性を見ていく。
すると当然、多少のずれがしばしばあるもの。
∧∧
(‥ )参考にした書籍の年代を
\‐ まず書いて
それから確認作業したら
案外とずれてましたな
そしてずれている年代の
どれがどんな根拠で
どう正しいのかわからない
(‥ )全ての根拠を
今いちいち確認する
わけにもいかないし
たんに紹介されてる
年代を照らし合わせると
まあこんな感じかなあ
とはいえ、なんとまあ、古代メソポタミアの歴史の賑やかなこと。聞いたことあるけど誰でしたっけ? という面々や民族がぞろぞろ次々登場しては退場していく。なんだか分からん、他所からふらっと現れる人たちだけでも、グティ人、エラム人、カッシート人、ミタンニ、ヒッタイト、海の民...
∧∧
(‥ )まあ3000年あるからね
\‐ 紀元後の世界よりも歴史が
長ければそりゃあね
賑やかでしょうなあ
(‥ )紀元後の世界史を
30行ぐらいに
まとめるようなもの
だからな
年表を見ても
なにかこう
取り止めがないのも
当然かもな
ともあれ、ああ、この人たち、こういう順番でこういう年代間隔の関係だったんですね、ということは分かる。
∧∧
(‥ )ナラムシンさんの
\‐ 戦勝記念碑って
1000年経ってから
エラム人の王
シュトルクナフンテに
持ち去られたのね
(‥ )法隆寺を略奪するような
感覚だったのかもな
ナラムシンの戦勝記念碑=>https://www.google.co.jp/search?q=victory+stele+of+naram+sin&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwihz7TtvLbgAhUP9bwKHThSDMEQ_AUIDigB&biw=1032&bih=928