2018年12月7日金曜日
tumblrの能力と質は人数の2乗に比例する仮説
10人の人間が作る人間関係は10×9
自分自身は自分と関係を作れないので1人の人間が残りの他人と、この場合は9人と関係を作る。そして全員で10人いるのだから、ありうる人間関係は10×9=90通り
100人の人間が作る人間関係は100×90=9000通り
近似的に言えば10人の時は100通り。100人の時は10000通り。
∧∧
(‥ )要するに人間関係は
\‐ 参加人数の二乗で増加する
そう考えて良いし
それが近似値となる
(‥ )...なあ
tumblrの
コンテンツ作成能力や
コンテンツの発見力は
参加人数の相互リンクに
依存しているわけで
要するにtumblrの能力は
参加人数の二乗に
比例するってことだよな
つまり、参加人数が2倍になればtumblrが持つその力と豊富さは4倍になるし、反対に参加人数が2分の1になればその力は4分の1に急減するということになる。
∧∧
(‥ )それを考えると
\‐ tumblrのエロ排除で
参加人数が減ると
例えその数がわずかでも
その能力は急減する
場合によっては
能力急減で参加者が減り
それがさらに
能力の急減を招く
そういう負の連鎖に
一気に突入しうるのでは?
(‥ )うははっ
もしそうなったら
見ものだな
tumblrが17日に断行することはエロの一律排除のみ。サービス自体は存続する。人によっては影響は限定的とみなすだろう。実際、局所によっては影響がない、少なくとも即座ではない、ということも十分ありうる。
人の趣味はそれぞれ群れになって固まり、それがぶどうの房のように束になっている。いわゆるクラスターってやつだ。異なるクラスターに存在するもの同士ではあまり交流がないし、相手が消滅しても、直接的にはほとんど影響を受けない。
実際、twitterを見るとエロ規制に対し、俺には関係ない、エロに興味はない、私の絵は問題なかった、そういう自慢も目立つ
ああ、もちろん、こういう自慢自体はどうでもいい。
人は困難の時に私は平気だと熱心に主張するものだ。これは困難における自分の耐久性をアピールしているわけで、鹿が角を仲間に見せびらかすようなものである。ぶっちゃけ、チンコ出して徘徊しながら男のでかさを競うようなもの。
ゆえに、エロが規制される? だから何? こうした自慢自体には、特別な価値がない。自慢であるから私的には重要に違いないが、公的にはどうでもいい報告だ。
こうしたどうでもいい自慢をノイズとみなして取り除いて考えてみよう。
いかに異なるクラスターとは言え、他人とリンクが消え去った時、その系がどのような影響を受けるか、ここが課題。
∧∧
( ‥)エロという人間の
根源を削除された時
それが参加人数に
どんな影響を与えるか
さらには
自称健全クラスターに
どんな影響を与えるか?
影響ないわけないな
( ‥)まあ無事では
‐/ すまないだろう
仮に本当にtumblrの力と能力が参加人数の二乗に比例しているのなら、1割の人員損失は2割の能力喪失を意味する。
そして3割の人がいなくなるだけで、能力の半分が失われる。1から3割を抜けばそれは0・7であり、その二乗は0・49で0・5に近似。つまり半減だ。
要するに3割の人を失うだけで、流れてくる絵も名言も新しいネタも質も、そのすべてが50パーセントになるだろう。これは魅力の顕著な喪失である。
自分は健全なネタだけを取り扱っているから無関係と思っているとしたら、おそらく確実に大間違いである。
∧∧
(‥ )実際、tumblrの記事を
\‐ リンクを追ってたどると
エロサイトを通ったり
グラビアアイドルの
あるいは街角風景写真の
猫や
あるいは時事ネタの
サイトを通ったりするからね
エロサイトも
リンクを作る重大な
流通路ですよ
(‥ )エロに限らずこの世は
人間関係が作る網目で
できてるんだ
エロを取り除くと
すべてがバラバラになり
衰退するもんさ
すなわち、tumblrの能力と質は参加人数の二乗に比例する仮説。
2018年12月20日以下追記
∧∧
(‥ )執行後20日の時点で
\‐ 能力の減少喪失は確認されず
=>http://hilihili.blogspot.com/2018/12/blog-post_23.html
(‥ )むう 予測が外れたか?