2018年11月27日火曜日
例えば光量子と物質波の時代を見てみよう
1905年 アインシュタインが相対性理論と光量子の考えを示す
∧∧
(‥ )1905年の出来事というと
\‐ 第一次モロッコ事件だね
ドイツ皇帝ウィルヘルム2世が
フランスのモロッコ植民地化に
干渉した出来事
(‥ )アインシュタインって
ドイツ帝国の臣民
なんだよな
ドイツは神聖ローマ帝国がなんか烏合の衆になってしまって統一が遅れ、プロイセン王国が主導する形でドイツ帝国が成立したのは1871年と遅かった。
∧∧
( ‥)明治維新1868年よりも
後ですからな
( ‥)統一の立役者である
‐/ 宰相ビスマルクは
2代皇帝と
対立して失脚
ウィルヘルム2世は
あまり良い皇帝では
なかったと聞くけど
モロッコ事件は
知らなかったな
ドイツは植民地獲得も遅れた。それが究極的には大恐慌以後のブロック経済で遅れをとり、ファシズムや遅れた拡張主義へと行き着くわけだから
∧∧
(‥ )ウィルヘルム2世の姿勢も
\‐ それなりに意味があったと
見るべきなんですかね
(‥ )そうも解釈できるよね
だけど知らないな...
科学史の背景には世界史がある。
両者は必ずしも直接関係しているわけではないが、知っていた方が分かることもあるだろう。
あるいは例えば、ド・ブロイによる物質波の提案...というか学位論文提出は1924年
∧∧
(‥ )粒子は波でもあるという
\‐ ぶっ飛び理論をよりによって
学位論文で提出するって
いかれてるよね
(‥ )頭抱えた大学が
アインシュタインに
これどう思う? と聞いて
これいいですね! で
通ったやつな
しかしこの前年の1923年。フランス軍によるルール工業地帯の占領があった。
アインシュタインの光量子からド・ブロイの物質波まで19年。この間に第一次世界大戦が勃発。ドイツ帝国は敗北し、皇帝は亡命。ドイツは共和国となり、アインシュタインは臣民から共和国市民になった。
一方、フランスが押し付けた巨額な賠償金でドイツ経済は混乱。賠償金支払いの滞りを理由にフランスはドイツのルール工業地帯を占領した。そしてそのフランスの学生こそがド・ブロイ。
∧∧
(‥ )まあ科学史と世界史って
\‐ 厳密な因果関係ではないけど
科学史の背景には世界史が
あるってことは
重要だよね
(‥ )ド・ブロイの
とんでも論文に
めんくらったパリ大学の
連中の頼った先が
ドイツの
アインシュタインで
しかしフランスはドイツの
ルール工業地帯を占領中
そんな状況だったのは
印象的だよね
そしてそのわずか16年後の1940年。フランスはナチスドイツの電撃戦に屈してしまい、わずか一ヶ月で占領されてしまうはめに。
∧∧
( ‥)アインシュタインは亡命するし
ヒトラーの対抗馬で
アインシュタインさんを
選挙で担ごうとする人も
現れるし
命まで狙われるし
わずか16年で
めまぐるしいことだな
( ‥)世界史の本
‐/ 書いてみたいね
好奇心というやつだ。ウィルヘルム2世とビスマルクが対立したのは知っているが、それは一体どういう性質のものであったか?
そもそもモロッコ事件とはどう受け取るべきものか?
以上を皇帝専制であるとか、植民地主義だと否定するとか、そんなことはどうでもいい。見たいのは、そういう行動の背景にひそむ、止むに止まれぬ原理である。
∧∧
(‥ )ルール地帯をフランスが
\‐ 占領するとか
それでドイツが混乱して
結局そこからナチスが
台頭するとか
そのナチスの電撃戦に
わずか一ヶ月でフランスが
屈してしまうとか
(‥ )その背景も結局は
経済問題だったり
統一が遅れたこと
だったり
究極的には農業と気候の
問題に帰着するだろうしな
これを覗き見るのは
大いなる楽しみだよ
人間に自由意志などない。これゆえ、歴史を自由意志の集積で理解しようとするのは間違いだろう。つまるところ、世界を動かす食い物の有様を見定めないと正確な理解はできないし、それができれば科学の歴史をも、もう少し正しく見れるだろう。
まあ、世界史に興味を持つその前に、科学史の本をまずは完成させねばならぬのだけど。
∧∧
( ‥)でもこれが長いな
( ‥)量子論が終われば
‐/ 地学と進化論で
フィニッシュなんだが
なかなかなあ...