考える力が弱い
∧∧
( ‥)ということは
ありえないだろう
(‥ )単に投資の問題じゃ
ないかね?
ある物事に関心をよせて脳の活動のかなりの部分を割り当てる。これは投資の問題であって力の問題ではない。
∧∧
(‥ )反対に
\‐ もしも個人、個体ごとに
考える力が本当に
ずいぶん違っているとしたら?
(‥ )そこまで個人差が
あるとしたら
それは明らかに
どうでもいい能力だって
ことだろ?
本当に必要ならそこまで個人差が生じるわけがない。考える力に顕著な差が仮に本当にあったとしたら、その時、考えるということ自体にまったく意味がない、ということになる。
ゆえに考える力に個人差があった場合、考える力という能力自体に意味がなくなる。
∧∧
( ‥)考える力が有意義なら
考える力に個人差はない
あるとしたら関心と
投資の問題である
反対に
考える力に
個人差が顕著にあった場合
それは考える力が
無価値である証拠
つまりどちらの場合でも
考える力自体に意味はない
( ‥)多分、投資の問題だろうな
‐/
考える力が弱い人。それは彼自身のせいというよりも、彼にとってそれが何の価値もない問題だってことだろう。実際、女のことや恋愛、性欲のことになると誰だって脳みそフル回転だ。
ゆえにこうである。
考える力、という言葉を使う人間を排除せよ。
分析において考える力という言葉を使うな。
考える力という概念は考える際にまったく無意味である。