2018年7月28日土曜日
分かりやすいを生み出すのは理解からかけ離れた要因である仮説
分かりやすいと評判の本。
だがしかし、皆の感想を読むと、口を揃えたように、
分かりやすかった
としか書いていない。
∧∧
(‥ )本当にわかったのなら
\‐ 分かりやすいと
書くわけがない
(‥ )目的地までの道順を
把握した時に
分かった!
なんて言わんからな
ここを真っ直ぐ進んで
次に右を曲がる
そう説明するのだ
本当に分かったのなら、こういう内容だった! と興奮して語るはずだ。
分かりやすかった〜と皆が幸せそうに言うってことは、誰もその本が何を書いていることを、分からなかったということである。
∧∧
(‥ )でもむしろ重要なのは
\‐ ここなんだよね
実際に分かったかではなく
分かりやすいという
充足感を売るのが
本を作る人間の
鉄則なのである
ここを見誤ってはいけない
(‥ )だから真の問題は
分かりやすいという
充足感はどこから
生まれるのか
ここなのよね
困ったことに、これが分からん。
反対に、分かりにくいを生み出す要因は列挙しやすい。例えば
読者が知らない名詞を一度に3つ以上使うと、そこで読者は心が折れる
∧∧
( ‥)そりゃそうだ
一度に3つ以上の新単語を
まくしたてられたら
誰でも人間は頭が
パンクしてしまう
( ‥)だから一度に3つ以上の
‐/ 名詞を使うのは
よほどの非常時に
限るのだ
このようにやってはいけない事柄を列挙するのは容易い。
∧∧
(‥ )でもこれ
\‐ 分かりにくいを
削る作業であって
分かりやすいを生み出す
作業ではないんだよね
(‥ )分かりやすいを生み出す
要因ってなんだろうな?
もしかしたら、単に文章をつっかえずに読めた、とか、そんな程度のことでしかないかもしれない。
そんな程度のことでしかないのかもしれないが...
∧∧
( ‥)でも何か、これは!
というものがあるかも
(‥ )んーなんだろうな
\‐ 分かっていないからこそ
皆が
分かりやすかったと
言うわけだ
だとしたら
分かりやすいから
かけ離れた何か...
理解という動作と
関係ない何かが
分かりやすい要因だと
思うんだが...
もしかして、単に文字数が少ないとか、そんな程度の話かもしれないが、さて?
分かったという感覚。これは錯覚と言ってもいいが、それを生み出すものはなんだろう?
多分、その性質からして理解とは無関係な事柄が要因だろうと思われるが、具体的には何だ?
∧∧
( ‥)分からぬ
(‥ )分からん