2018年2月26日月曜日
物理学者はどの程度までアリストテレス主義なのか
原子論は紀元前の古代ギリシャで生まれた理解である。それは、真空の中を跳ね回る微小な粒子が世界を構築しているという理解。
しかしこれは、例えばアリストテレスに否定される。何もない場所とはありえない場所であると。
だが1643年、トリチェリは水銀を用いることで真空が生まれることを示した。
少し後のニュートンは隠れた錬金術師であり、その最後の者でありながら元素論ではなく原子論に基づく世界観を示している。
そして炭鉱の排水では10メートルを越えると真空が生じてしまい、水が上がらないことが問題視されていた。
しかるにそれから250年後、物理学者はいまだに原子を信じていなかった。
∧∧
(‥ )原子論に基づいて
\‐ 熱力学を構築した
ボルツマンとかいたけども
物理学者が原子の存在を
信じたのって
20世紀の初頭
今からせいぜい
100年程度前の
ことなんだよね
(‥ )意味不明なんだよな
しばしば言われることであるが、現在の理解に基づいて過去の人を一方的に評論してはいけない。それは後付けで結果論で物事をわかった気になることと同じだからである。
とはいえだ
∧∧
( ‥)とはいえ
それでも意味不明だと
(‥ )真空があると
わかった後の世界で
なお原子論を採用しない
その場合
当時の物理学者にとって
真空ってなんなんだ?
例えば真空ポンプで空気を抜く。それは容器から水を吸い取ることと同じ、それだけの理解であったろうか?
彼らにとって空気とは錬金術の元素であり、一体でありながら分割できる流動体であったのだろうか?
そして彼らにとって真空とはなんだったのか? 単に元素のない場所か?
∧∧
(‥ )強制的に元素を取り除かれて
\‐ 作り出された空虚な場所
だとしか思っていなかった
というわけですかね?
(‥ )これって当時の物理学者が
実は
アリストテレス主義者だった
ということだよな
確かにありえないわけではない。マクスウェルが1861年に電磁場を予言した時、彼がその足がかりとしたのは実在しないはずのエーテルの存在であった。
∧∧
(‥ )エーテルとは本来なら
\‐ アリストテレスさんが示した
天上界構成元素のはずですが
この時代は電磁波を伝達する
普遍元素になっている
わけだよね
(‥ )当て推量だが
天動説から地動説に
座標が裏返った時に
地球も天上界に
座標されたので
エーテルが地球も取り巻く
普遍元素になった
そういうことに思えるが
しかしこう考えるとますます理解不可能になるのである。光を伝えるエーテルが普遍であるのなら、では空気が光を通す時、空気という元素は元素エーテルと重なり合っているということであろうか? では真空とは元素空気を追い出しただけで、実はまだエーテルが残っている空虚でない空間だと物理学者は認識していたのであろうか?
それなら物理学者にとって真空とは真空ではなかったのか?
だとすると、これはほとんどアリストテレスのままである。
なればしばしば言われる主張。つまりガリレオとニュートンの登場でアリストテレスの古代物理は終わったのだと、あの主張がどうにも胡散臭いことが見てとれよう。
∧∧
( ‥)100年前まで
物理学者は
アリストテレス主義者の
ままであった
この可能性を考慮しないと
物理学者の動態を
把握できないだろうと
( ‥)なかなかに
‐/ 難儀だねえ
すなわち、物理学者はどの程度までアリストテレス主義者であったのか?
そして物理学者にとって真空とは一体全体なんだったのか?