2017年12月25日月曜日
論理的な人間の死体で塔を作り月までいこうぞ
∧∧
( ‥)人は死ぬ
ソクラテスは人である
人は死ぬのだから
ソクラテスも死ぬ
人は死ぬと言った時点で
人であるソクラテスも
そりゃあ死にますわ
(‥ )演繹とは
大前提から
大前提に含まれている
事柄を導き出すことで
意地悪な言い方をすると
何かを発見している
わけではない
じゃあ数学の発見は発見でないのか? 血相変えて怒鳴り込んでくる人もいるだろうが、演繹の発見は設定に含まれていることを”発見”しているだけなので、設定外のことを発見しているわけではない。数学を離れて現実を語る時、そこを無視するわけにはいかないのだが、お前ら論理的な人間はすぐこれを無視するだろう? そう言えば良い。
∧∧
(‥ )論理的な人間は
\‐ 自分の思い込みから
思い込みを演繹しているに
すぎないのだが
現実について
自分は真理を語っていると
勘違いするのである
(‥ )演繹は理屈の
1方法論に過ぎず
論理は名詞の関係を
示すのみ
それだけのことなのに
論理に意味があると叫び
論理的だから
正しいはずだと権力を
振りかざす
論理的な人間ってのは
論理では説明できない
飛躍を行うやからなのだ
これには当然の理由がある。論理で現実を語る時、我々は否定しか語れない。すべてのカラスは黒いという命題は証明不可能だが、すべてのカラスが黒いという命題が間違っていることを証明すること可能だ。
論理では否定しか語れない。
∧∧
( ‥)しかるに論理的な人は
自分の意見を肯定的に
語るのである
(‥ )論理で肯定論を語るには
論理的な破綻を
使用せねばならない
ゆえに論理的な人間は必ず非論理的な発想の飛躍を行っているし、そして二枚舌にならざるをえない。
∧∧
(‥ )論理的な人間は
\‐ 論理を武器として使用し
自論の優位性を語る
これはつまり
自己の肯定であり
他者の否定である
(‥ )論理は否定しか
語れないのに
自己を肯定し
他者を否定する
はい、二枚舌ですね
事実、論理的な人間は自論に不利な反証を無視するが、相手の論の反証にはすぐに飛びついて、反証があるゆえにお前の論は論理的に間違いであると得意げに言うものだ。
∧∧
( ‥)まあ頭いい人間は
そういうことするねえ
(‥ )論理を武器に使う時点で
頭はいいけど
論理が真理を語ると
飛躍する時点で
頭いい人間は狂ってるし
二枚舌野郎なんだよ
以上を踏まえれば、頭の良い人間、論理的な人間をすべて滅ぼさねばならないことは自明である。そして彼らの死体で月まで届く塔を作るのだ。我らはそれを使って高みへ登り、栄光をつかもうぞ。