2017年10月6日金曜日
許すまじシルバー そしていびつな古墳
先日、シルバー人材なんとかとかいう定年後の暇つぶしに無料サービスを行い若者の雇用を奪う人々によって、育てていたアメリカネナシカズラをぶった切られてしまったので…
本日はアメリカネナシカズラの
∧∧ 再度確認でーす
( ‥)
‐( ‥)奪われたものは
取り返さねばならん
あの老人ども
絶対に許さんぞ
そしてアメリカネナシカズラ
奇妙なもので近縁種のネナシカズラと違って、ずーっと花が咲いている。もうほとんど花は終わってはいるが、それでも画像を見れば分かるようにまだ咲いている花もあるのだ。
ネナシカズラは先月の中頃に
咲き始めたな〜と思ったら
∧∧ もうほとんど終わりだからね
(‥ )
‐( ‥)咲き方が全然違うのな
どういうことなんだろう?
帰りは以前、気になっていた奇妙な地形の神社によった。平野にいきなり高さ5メートル近い丘があってその頂上に神社がある。実はそれ、中世期の城の跡だった。城とはいっても山城みたいなものだ。もっとも、長い時間と造成によってか、どこが本来の構造なのかよくわからなくなっていた。撮影はしたものの、どこが本来なのか分からないのではなんとも面白くない。
というわけで城跡の画像は
∧∧ アップいたしません
( ‥)
‐( ‥)そして次に寄るのは
古墳だ
先日、自分の経路を見たら帰り道のすぐ近くに古墳があることに気がついたので寄ってみた。
近隣の神社から眺める古墳。
緑生い茂る古墳は山頂に後の時代に据え付けられた神社を構え、さながら小山の雰囲気。
前方後円墳であり、後円から前方部分を見るとこんな感じ
よく見ると上り道の途中でご丁寧にベンチまで据え付けられている。
さてこの前方後円墳、かなりいびつな形だ。以上の画像でも左手が開けて見えるが、これはなにやら重機を使った作業をする場所である。そしてその向こうは大きな道。googleで見ると道とこの作業場で古墳が削られてしまったように見える。
ところが
山頂の説明書きによると
江戸時代の資料でも現在と
∧∧ 同じ姿だったみたいだね
( ‥)
‐( ‥)まじか!
以上の画面左部分がかなり崩れていること、それ自体は確かだそうだ。だがどうも江戸時代の時にはすでにこの形だったらしい。以上の画面でいうと、後円に対して前方部分が右に流れている、非常にいびつな前方後円墳。
例えば前方部分の中央を通る上り道
地形が左右対称であることから分かるように、残されている前方部分のほぼ中央を通っている。
ところがこの道をそのまま延長すると、山頂の神社の脇にいってしまうのだ
正中線がずれちゃってる
∧∧ 前方後円墳なんだね
(‥ )
‐( ‥)なんでこんなことに
なったんだろうなあ?
古墳の築造年代は6世紀ぐらいらしいが、詳しくは不明だそうだ。