2017年8月4日金曜日
結局、頭は体力勝負ですから
証拠Aがある。
証拠Aだけで記事を書くのは危険だ。証拠Aが正しいという証拠Bを持ってこなければいけない。
証拠Aが正しいという証拠Bだけでは十分ではない。証拠Bを裏付ける証拠Cが必要だ。
さらにいえば、証拠AとBとCは互いに独立でなければならない。複数の証拠が実はひとつの証拠が姿形を変えたものでしかなく、たくさんに見えて証拠がたったひとつだということがあるからだ。
さらに言えば、証拠をつきあわせるという動作は、実は論理では正当化できない。これは仮説発見、つまりアブダクションというものだ。整合性と論理をごちゃまぜにする人間は多いが、論理と整合性は違う。以上の過程は論理的に考えてはいけない。整合性を確認するためにひたすら調べるという動作が重要になる。
∧∧
(‥ )端的に言えば
\‐ 記事を書くという動作は
体力勝負である
(‥ )知能も必要ないんだ
整合性を
判定するセンサー
そして
検索と移動とそれを
可能ならしめる移動力
これさえあれば記事は
書けるのよね
言い換えれば、頭の良い人間が途方も無い馬鹿であったり、頭の良い論理思考の人間や、あるいは知識自慢を誇るオタクがとんでも馬鹿な記事を書いたり、あるいは嘘科学にひっかかるのはこれが原因だ。
論理は整合性を判定するセンサーとしてはまったく役に立たない。だのに論理=整合性だと考えるし、あげくに考えるだけで移動しないからどうにもならない。
要するに知的な人間というのは演算装置としては劣等なのだ。知的な人間など、解探索装置としてはまるで役に立たない下等存在なのである。
∧∧
( ‥)マスコミが駄目なのは
(‥ )頭で考えるし
体力がないからだろ?