2017年7月11日火曜日
魔法が使えないとなれば、さて何を使えばいい?
今日もコンビニには「論理でビジネスを成功させる方法」という本が並ぶ。
だが残念。論理は関係性を示すだけで、真実を示さない。論理とは文法のようなもので、文法が真理を示さないように論理も真理を示さない。正確な文法で詐欺を働けるように、論理は現実について一切何も語っていない。
そうであるのに、今日も論理でビジネスが
∧∧
(‥ )でもそんな話
\‐ みんな聞きたくないのです
(‥ )皆が知りたいのは魔法だ
論理という
使う者に力を与えてくれる
魔法の言葉
それを知りたいのだな
残念ながらそれはただの現実逃避なのである。論理に魔法の力はない。文法が魔法でないように、論理もまた魔法ではない。
論理は大人の中二病にすぎない。論理を語るとは、我が邪王真眼の力によりお前を見切った! とか言っているのと何ら変わらない。
だがこう言うと怒り狂う人もいるであろう。
俺たちは厳しい仕事の中で勝ち抜くために論理を学ぶのだ。それのどこが現実逃避なのかと?
これには次のように答えれば良い。
現実と戦うからといって、手にした道具が魔法でないことにはならない。現実と戦っている俺たちが中二病なわけがないし、手にした道具が魔法なわけがない、という結論はあからさまな論理の飛躍だ。
∧∧
(‥ )それでもなお人は
\‐ 論理を手にして現実に
戦いを挑むのですな
現実と戦うために
現実逃避の魔法を使う
これが現実と戦う人の
選んだ道ですか
(‥ )考えてみれば俺たち全員
いつもそうだよな
現実はあまりに固いのだ。現実は現実では破壊できない。だから魔法を請い求める。人の動作には必ず必然の理由がある。
∧∧
( ‥)まったくの無駄でもね
(‥ )まったくの無駄でもだ
さて、ではどうしようか? 何を使って現実に穴を開けようか?