2017年6月30日金曜日
砂金に本来の価格はなく、あるのは元素の属性だけである
タダの情報とは、所詮はタダだ。
∧∧
(‥ )というと怒り狂う人がいる
\−
(‥ )まあぶっちゃけ
痛いところを
つかれたのよね
タダの情報とは色々な意味がある。例えば単に無料の情報。例えばネットで検索するだけで即座に出てくる知識。
だが実のところ致命的なのは購入が無料であったか、有料であったか、そこではない。
∧∧
(‥ )実はその情報の取得に
\− どれだけ手間をかけたか
そこが問われている
(‥ )情報の収集と確認に
手間をかけない人間は
ガセネタつかんで
分かったつもりになる
そこが問題なのだ
そういう意味でいうと、タダの情報とは所詮はタダだ、という言い様は次のような意味になる。
タダで情報を得られると思っている人間のところにはゴミくずが集まってくる
∧∧
(‥ )これは言い換えれば
\− 人間自身が情報の分離器として
作用するということだよね
(‥ )考えてみれば当たり前だな
砂金探しだって
こし器を水中で
わしゃわしゃ動かさないと
砂金を抽出できないからな
そしてさぼって動かなければ、そりゃ土砂しかたまらん。砂金が混ざっていても埋もれて見えん。
困ったことに、砂金だって本来はタダなのである。砂金自体が価格を持っているわけではない。砂金が持っているのは金という元素が持っている属性だけだ。
∧∧
( ‥)ただしそれを抽出するには
こし器をわしゃわしゃ
動かすという手間がかかる
(‥ )だからよタダの情報でも
それには軽重があり
情報の軽重に基づいて
分離するには
手間がかかり
コストがかかり
金がかかるのよね
つまり情報がたとえタダでも、価値ある把握を行うには金と手間が必要であり、結果的にタダにはならない。
それを考えると、タダの情報は所詮はタダだと言われて激怒する人間の動機は明白だろう。彼らは、お前は手を動かしていないからゴミしか集めてないぞ? と言われて怒っているのだ。
そしてもちろん、怒ったところでどうにもならん。怒って理論武装したところで、手持ちのゴミはゴミのままだ。だって手を動かしていないんだから、そりゃそうだろう。
∧∧
( ‥)それだけの話だと
(‥ )まあそんな