2017年6月23日金曜日
汝はすでに楽園にいるのだと
愚痴というものはあらゆる場所に存在するもの。
だが昨今の愚痴は経済の縮小に従い、いよいよ切羽詰まって出てきた感がある。
∧∧
(‥ )研究者の愚痴も
\− 多くなりましたな
雇用が不安定だ
契約制だ
これでは研究に専念できない
大学でこれだけ勉強したのに
評価されない
(‥ )でもあれよね
正直な話..
正直な話、研究者からもれてくる愚痴はどうでもいい苦労話でしかない。ありきたりな話だし、取るに足らない下らん愚痴だ。
聞いたところで、ああそうですか、はいはい、としか言い様が無い。
∧∧
(‥ )今時は契約制だの
\− 雇用が不安定だの
珍しいことでは
ありませんからな
(‥ )そんな
ありきたりな話なんて
誰も聞いちゃくれんよ
もちろん、これは由々しき自体でもある。研究者に金が回らなくなるほど状況が悪化するのは問題だ。
古今東西、文明国とは役立たずの文化人だの穀潰しだのを無駄に大量に飼育して、その経済力を誇るものなのである。
研究者とかいう穀潰しを飼育できなくなる。これは合理的なようでいて、その合理性ゆえに大問題となるのだ。
∧∧
( ‥)研究者を穀潰しと呼ぶと
彼らは怒り狂うでしょう
(‥ )さりとてあれよ?
有益な研究だけに
お金を出しますね♡
と国家が言うと
皆さん血相変えよるべ
そりゃあそうなのだ。まず第一に未来の価値は今の価値観では推し量れない。基礎研究をおざなりしたばっかりに未来の可能性を自らつぶし、敵国に敗北することもありえよう。
∧∧
(‥ )でも合理化案に研究者の
\− 皆さんが血相変える
最大の理由って
自分の研究が何の役にも
立たないと分かっているから
なんだよね
(‥ )だからあせるのよな
さりとて、経済が縮小したら無駄に回せる金が減るのは当然。
いくら文化的な価値を言い立てて予算を要求しても、無い袖は振れず、無から有は作れない。
予算が無ければ予算は出てこない。これは科学的な意味でも道理であろう。
∧∧
(‥ )それが分かっていてもなお
\− 愚痴をこぼしますか…
(‥ )そりゃあ
愚痴って
そういうものだからね
とはいえ、中にはみっともない愚痴もある。
例えば大学でこれだけ勉強したのに、という部分。これは脳みそ空っぽ、最悪な意味で体育会系的発想だ。あるいはブラック企業の世界観だろう。努力には無条件に見返りがあってしかるべきだ、という主張は、まともな発想ではない。
合理主義を口では言ってる人間も、本音はせいぜいがこんなもんだ。
∧∧
(‥ )意地悪な言い方をすると
\− 研究職を選んだ時点で
人生詰んだでしょ?
という話で
お仕舞いなんだけどね
(‥ )もちろん研究者でも
あっ、俺の学問分野は
防災とかの方に役立つわ
今からそっちに舵を切ろう
そうやって
成功していく人も
いるんだけどね
とはいえ、これも実は最初の一手で決まっていたことだとも言える。
どの学問領域が将来有利なるのかは分からないが、分からなくてもそれは選んだ時点で決まっているのだ。
∧∧
( ‥)つまりあの日、あの時
大学でのあの一手が
今のすべてを決めて
しまったのである
(‥ )そして決めたのは誰か?
そりゃ自分だろ?
だったら
今の詰み手の人生は
己の自己責任だろうが
って話になるのよね
∧∧
(‥ )それでも愚痴をこぼし
\− それにも飽き足らずに
社会を批判しますか
(‥ )人間はなあ
報われない境遇だと
社会が悪い
日本が悪いと
無駄に希有壮大なことを
言い始めよる
あれ
ただの逃げなのよね
例えば、研究職だと一時はどこか外国にいったことがあるから、それを武器に理論武装することもある。
やれ日本はアメリカに比べればどうだの、やれイギリスに比べればだの、ドイツと比較すればだの
∧∧
(‥ )でも日本から出ていかないし
\− アメリカやEUに
就職するでもない
(‥ )海外帰りごとき
幾らでもいるんだよ
珍しくもない
そんな程度の
ごろごろいる才能では
全員が堅実な就職を
できるわけではないし
ましてや海外で就職できる
わけでもないのよ
当たり前だろ?
そもそもそれが出来ないから日本にいて、そして愚痴をぶつぶつこぼしているのだからな。
なんのこっちゃない、中途半端な才能じゃないか。そんな出来損ないな力が理由で愚痴をこぼすぐらいだったら、最初からそんな無駄な才能と成績は必要なかっただろう?
しかしそれでもなお、なぜ大学のあの日、あの時、あの一手を選んで今の詰み手に至ってしまったのか?
理由は単純。
自分の能力を見極められなかった。ただただそれだけである。ただただそれだけだ。他にどんな言い訳がある?
∧∧
( ‥)すべては己が招いた
詰み手でしかないのである
( ‥)しかし愚痴しかこぼせん
−/ それは諦めた証拠よなあ
切羽詰まっていたら人はあらゆることをする。
それをしないで愚痴をこぼしているだけとは、そりゃ諦めたのだ。
なぜ諦められたのか?
理由は単純。諦めても死なないからである。
決めたのだ。自分はこの檻でこれからずっと暮らすと。自分の思い描いていた才能からはかけ離れた現実だが、これが自分の限界なのだと。
しかしそれを認めるのが怖いから檻の調子が良くないと社会批判を繰り返すし。
だがそれでも檻から出ないのだ。
これが自分の限界であると分かっているし、しかしこれを認めると自尊心が崩壊してしまう。
だからひたすら出て行かない檻の批判を繰り返し、あっちの檻は素晴らしい! アメリカの檻は良かった、ドイツの檻は良かった! と言い立てるだけの人生。
だが良い。それで良い。これがあなたの幸せ。これが己の才能の終着点。
さあ、諦めないふりをするために社会批判をしよう。この檻の批判をするために外国の檻の素晴らしさを吹聴しよう。そうしてとっくの昔に諦めてしまったのに、自尊心を守るために自分にも嘘をつこう。
愚痴とはそういうものだ。ゆえにこうである。汝はすでに楽園にいるのだと。