2017年4月22日土曜日
考えるランドのねずみ講人間
∧∧
( ‥)考えるというのは
やばいことである
(‥ )有限の思考で
無限の世界を理解できると
主張する
その時点で
なにかとんでもない
手抜きをしていることは
明白であるな
それにしてもだ。以上のように”考えると”は論理的な破綻であり、手抜きであることは明らかなはずのに、なぜ考えることが有利になるのであろうか?
それは、まず第一に、考える人間は空理空論を述べても安全な場所にいること。
次に、同じことが起こっている場なので、考えるだけで未来予測が的中しているように見えること。
そして何より、その場では、考えたという姿勢を見せびらかすことで社会的地位が上昇できる文化が流行っていること。
つまり、考える人々は現実世界というよりも、巨大テーマパーク”考えるランド”にいる、という可能性である。
∧∧
(‥ )要するに考える人は
\− 考えるごっこが
流行っている場所に
引きこもっているだけだ
ということですなあ
(‥ )下手すればよ
ここは
考える人間の聖地です!
と宣伝を打つことで
我こそは考えるランドで
一旗揚げたいと
やってくる若者達を
次々代々に食い物に
しているのかもしれんぞな
つまり考えるランドは
ねずみ講ランドかもしれん
かように、考える人間というものが極めて危険であること、もはや明白だろう?
なれば答えはひとつだ。
考える自慢をする考える人間を見つけたら、ちゃっちゃと始末するべきである。