2016年12月9日金曜日
餓死と寿命の収束点
楽はしばしばただのごまかしである。
∧∧
( ‥)でも楽したいよね
(‥ )楽したいというより
楽を選ばないと
死ぬのだな
さりとて、単に楽のための楽をすると誰からも評価されなくなる。
楽のため楽を弁護してくれるのは自分自身だけである。
例えば、俺たちマスコミは権力の監視者だから、嘘、捏造、で字面を埋めて良いのだと言う、そう、己自身をたばかる自分たち自身だけであろう。
∧∧
(‥ )まあ楽のために楽する
\− 人たちは放っておいて
楽をしないと死ぬ
というのも
無視できぬ現実ですな
(‥ )人間は困ったことに
知的存在でな
脳を使う作業を要求される
しかも脳は人体の中でも
過剰にカロリーを消費する
脳を使うこと自体が
自殺行為なのだが
それをしないと
生きられないのだ
だからこそ、我々マスコミは権力の監視者だから嘘捏造でも許される、というズルを人は始めるのである。
何もかもが逃げなのだ。
しかし人間は単なる逃げを評価しない。人間はそういうものを識別するのが非常にうまい。
そりゃあマスコミが軽蔑される存在になるのは当然なのだ。マスコミのなにがひどいって、なぜ自分たちが軽蔑されるのかもう理解できないほど退化が進んでいる点だ。人間はそんなものを評価しない。
∧∧
( ‥)単なる逃げでは駄目だ
知性的な作業を
行わなければいけない
だがそれは自殺行為でもある
(‥ )しかも加齢で頭が
ぼけて鈍っていく過程で
これを行わねばならん
物書きなんかが
次々脱落するのは
これが理由だな
しかし方法はないではない。
ごく単純な0と1の動作の組み合わせだけでも演算を行うことは可能だ。
ただし、時間がかかる。
時間はかかるが確実だ。
∧∧
(‥ )あなたがやろうとしているのは
\− これだよね
ごく単純な動作の累積で
考えたのと同じ効果を
作り出そうという魂胆
(‥ )問題は時間がかかることだ
単位時間で観測すれば
演算処理が薄まるのだな
弱ったことに記事を書くとは、その演算処理の結果で収入を得るということなのである。演算処理が薄まるとは収入が薄まっていくことを示す。
しかも体力が低下すると演算処理はさらに薄まり、収入も薄まり、最後はゼロとなってしまって、演算終了は無限大の彼方へと去り、収入は永遠の時間をかけても有限の値にしかならないほど漸減し、ほんのかすかな雀の涙へと収束するだろう。
∧∧
( ‥)どうするんだよ?
(‥ )どうしようもないな
そもそも体力低下で
演算終了が
どんどん遅くなって
ついには
無限の彼方へ去る
それを踏まえた
苦肉の策がこれだもの
避けようがないんだよ
この場合、起こることは二つある
ひとつは演算処理がどんどん遅くなり、収入を失い、ついには餓死する。
そしてもうひとつは理論上の寿命限界。
∧∧
(‥ )できることはあれだよね
\− 演算処理の低下による餓死を
限りなく理論上の寿命に
近づけること
これだけだよね
(‥ )正確には二つが
収束するな
収入の低下と負荷は
寿命を縮める
では餓死と寿命が
収束するのはいつか?
それをどこまで伸ばせるか
課題はそれだけさ
実際、物書きが抱えている課題なんて、究極的にはこのひとつだけだろう。