2016年10月26日水曜日
薄い本の時代だ
本当に知りたいのなら一般書なんか読まない。専門書か教科書か論文か、あるいは実物を見るのだ。
∧∧
( ‥)でも読書人は一般書を読み
ふーん これはあまり
たいした内容ではないなあ
と書評を書くのであった
(‥ )なんのこっちゃない
読書人なんて
馬鹿のやせ我慢だったのさ
本当は数十万文字のテキストなんか読みたくないし、脳はとっくに限界で悲鳴を上げているのだ。
だが脳が上げる悲鳴を押し殺し、必死のやせ我慢に我慢を重ね、背伸びに背伸びを重ねて、ようやくそれで読めるのが一般書籍。
教科書も論文もそのはるか彼方、かすみの向こうだが、連中はそこで満足して、
我は世界の真理を得たり!!
と脂汗を流しながら見栄っ張りな宣言を絶叫する。
これが読書人というものの正体であった。
なんのこっちゃない。読書人なんてのは最初っから落ちこぼれだったのである。
∧∧
(‥ )その評価が正しいのか
\− 正しくないのか?
ともあれどうやら
今、読書する人々は
限界に達してしまったらしい
(‥ )デフレの状況下の
薄利多売労働で
金も時間もなくなり
読書という無駄自慢をする
余裕がなくなってしまった
おそらくそうだろう
どうもそうではないのか?
昨今の愚痴と有様を見ると、そういう解釈が可能であるように思われる。
∧∧
( ‥)というわけでこれからは
薄い本の時代であると
(‥ )50ページの本を
200ページに薄めて
書くのだ
するとあら不思議。200ページの本がすらすら読める!!
∧∧
( ‥)そりゃそうだ
(‥ )本が読めてしまう上に
僕は読書していますという
虚栄心まで
この多忙な時代で
満喫できるのですよ
薄い本 万歳ですよ
読書人なんていう痴れ者には、こういう配慮こそがふさわしい。
∧∧
(‥ )...でもこの手の人は
\− 少なくとも見た目は
格調高い本を望むんじゃね?
(‥ )やだやだ
馬鹿のやせ我慢で
見栄っ張りってのは
いやだねえ
だがしかし、本を読むとは、所詮はそんな程度のことなのである。
∧∧
( ‥)その点、娯楽小説とは
良いものですなあ
単に楽しんでいるだけで
実に素直だ
(‥ )そうだな偉大だな
考えてみれば
これほど偉大なことは
そうそうないな
楽しんで読んで読ませる。
ここにはくだらない背伸びも見栄もない。考えてみれば、娯楽小説こそが本の王道だ。
∧∧
(‥ )ともあれこれからは
\− 薄い本の時代なのですな?
(‥ )厚い本の時代が戻るのは
デフレを脱却する
1〜2世代後かな?
そしてこれは、そう悲観するものでもないだろう。
∧∧
( ‥)薄い本も
(‥ )累積すれば厚くなる
さて、ではどう薄めようか? どう堆積させようか? それが課題となる時代。