2016年8月29日月曜日
この貧困は真か偽か? これがなければ福祉は成立しない
NHKの取り上げた貧困jkとやらが実際には金遣いがあらくて、こんなの貧乏じゃない! と炎上中。
∧∧
(‥ )今度はその炎上を許すな
\− 貧困を叩くな! という
デモが行われたと
(‥ )ああなんか駄目っぽ
だなあ
∧∧
( ‥)なんで?
(‥ )見るからに金にならんべ
スローガンは、生活苦しいヤツは声を上げろ、だったそうだが、それでは駄目だ。
∧∧
(‥ )金になりませんと
\−
(‥ )人間は非常に計算高い
得にならないことを
人間はしない
金にならないと踏んだら
見向きもしないよ
むしろ、人間の相互扶助、つまり福祉とは、福祉にただ乗りしようとする裏切り者を見つけて抹殺するという行動と対になっている。実際、そもそも審査があるではないか。それは貧困の真偽を判定するという行動であり、それは裏切り者の排除に他ならない。
実際、裏切り者を発見、即座に抹殺という行動がなければ相互扶助は行動として成立しえない。裏切り者に食いつぶされて福祉が消滅して終わりだ。
∧∧
( ‥)逆に言うと
裏切り者を抹殺すれば
福祉の無駄な支出という
マイナスを減らすことが
できるだろう
(‥ )そもそもなぜ皆が
貧困バッシングとやらを
行うのか?
それは偽の貧困を発見して
それを抹殺する方が
得になるから
みんなやるのだ
人間は脳で計算している。その計算結果を、道徳という表面上の言葉だけで批判するのは絶えず的外れであり、的外れな行動は絶えず敗北するのだ。
もちろん世の中には、宗教の戒律などの形で、貧者に施しをせよ、という行動がプログラムとして入力されている地域もある。
∧∧
(‥ )そういう世界では
\− この貧困は真か偽か?
という問いかけ自体が
許されないことに
なるでしょうなあ
(‥ )でもあれだよ?
宗教が想定していなかった
施しにただ乗りする人々が
大量に出てくると
そのプログラムはただの
バグになってしまうのだぞ
そういうわけで、プログラムされた社会である西欧も、最近は移民や難民を排除しようとしている。正社員の裕福な生活を支える低賃金労働者としてさんざん食い物にした移民達を、今度は排除しようというのだからこれほど情け容赦のないひどい話もないもんだが、まあ発想としては極めて人間的だし合理的だ。もともと西欧は奴隷制で成立していた地域なわけだし、極めて西欧的だとも言える。
∧∧
( ‥)宗教によるプログラムも
人間同士の利害と損得の
きしみの前では無力ですか
(‥ )想定していなかったことが
起こると
どんなプログラムも
無力化するからな
しょうがないべさ
∧∧
(‥ )イスラームだと
\− どうなんだろうね?
(‥ )あっちだと物乞いは
喜捨を行わせることで
相手に天国行きのチケットを
販売するプロだそうだし
組合もあるって話だが
それが歯止めになって
いるのかね?
どうなんだろうね?
考えてみれば興味深い
問題と課題だな
心に留めておこう
人間の社会が取りうる有様とその表現形式には様々な可能性がある。