2016年7月12日火曜日
日和見で心変わりすることこそが演算
∧∧
(‥ )選挙が終わった途端に
\− 候補や政党で特番を組むって
どういうこと?? と
文句が出ているみたいですよ
(‥ )そりゃ選挙前に
候補や政党を
特番で紹介したら
大問題だからな
それを防ぐために
政見放送もあるわけだし
それにしてもだな...
それにしても、予め知っていればこうだった、とか、まるで知っていれば失敗しないかのような言い様ではないか。
∧∧
( ‥)自分で一生懸命調べた会社に
必死で就職して
その結果みなさんどう
思ったでしょうかー
(‥ )はい、後悔です
政治も選挙もこれと同じことだろう。考えて熟慮して、これだと決めて、そして現実にがっかり。そして心変わり、この連続。
∧∧
(‥ )でも選挙でがっかりしたら
\− また別の人に入れれば
良いだけなんだよね
(‥ )がっかりしたり
後悔したりする
これ自体がすでに
前進であり演算ですよ
反対に、ここに入れなければならない、ここに入れなければならないー! と何があっても同じことを言う人たちがいる。これは一体なんであろう?
それは何があっても考えを変えない、いかなる刺激にも反応を変えないということであって
∧∧
( ‥)それって演算素子としては
壊れてるんじゃね?
(‥ )選挙のたびにそういう
壊れた連中が
一定量でてくるのな
まあいてもいいけど
いても良いだけだよね
分からないならやってみればいい。未来のすべてを見通すことができない以上、何をやっても失敗だし、後悔するだろう。
後悔すればそれを止めれば良いし、そして別のことをすれば良い。それが演算というものだ。
つまり、日和見で良いし、心変わりをしても良い。というかそうでないと困る。
何があっても考え方を変えないとしたら、むしろそれは壊れているというべきだ。
ゆえに、あきて投票にいかないのもまた自由。
ある刺激に対して全員が一律に同じ反応などされたら、全滅である。