2016年4月16日土曜日
人間は後を考えるように出来ていないし、理系の文化は単純異質
理系の人間は95パーセント正しくても、5パーセントの不確実性で絶対とは言わない。
文系は逆である。
∧∧
(‥ )実際はそんなたいそうな
\− 違いではないでしょうね
(‥ )むしろあれだな
人間は目先の答えを
即座にもらいたいだけで
説明を聞きたい訳では
ないってことだろうな
というかもっと言えばこうである。
人間は、目先の楽を取って長期的には死に至るような選択をすると。
∧∧
( ‥)夏休みの宿題を最終日に
あわてて片付ける
健康診断にいかずに
ガンの発見が遅れる
無駄にローンを組む
インチキ医療に引っかかって
死ぬ
(‥ )思い当たるふしが
幾つもあるよなあ
考えてみれば
当たり前なんだよね
人間は今さえ良ければ
良いのであって
後で来る災難を
回避するようには
出来ていない
そんな進化をそもそも
していないよな?
実際、人間の世界で後から来る災難を回避しないと死ぬ、ということが深刻な問題となったのはかなり最近のことではないだろうか? 本来は熱帯性の動物なのに、季節のある気候帯に進出して、冬場に備えて何かしら食料を貯蓄しないといけなくなったとか、せいぜい、そんな程度のことではないか?
それに、野生動物が後先考えず、機械的に行動することを考えれば、目先の利益に食い下がるだけで、生存には十分であること明白である。
それを考えると、夏休みの宿題に手を付けない、とか、健康診断にいかないとか、それが普通なんであろう。
∧∧
(‥ )そして今さえ良ければいい
\− そういう性質は
答えが聞ければそれで良い
根拠は聞きたくない
という動作を生み出す
(‥ )本を書いていると
分かるのだけど
読者の中には
だろう
多分
らしい
こういう表現をされると
頭が混乱する人が
いるのよね
どういうことかというと、...多分なになにだ、とか、…でっあるらしい、と言われると、聞いた内容を鵜呑みにして良いのかどうか、自分では判断がつかなくて読者はまごつき、本を放り出すのである。
まあ当然と言えば当然だ。
∧∧
( ‥)そりゃあ魚を
呑み込もうとした時
それは魚らしいと言われたら
魚をくわえたまま
目を白黒させて
動作が止まるでしょうね
(‥ )根拠は書いているのだがな
これこれな理由と
これこれな特徴から
これは魚であると考えて良い
異論はあるが、現状では
魚説が一番確かである
そう書いているのだけどね
だが、らしい、とか、多分、と言われるだけで人は魚をくわえたままフリーズしてしまう。
要するに、実のところ読者は根拠や説明を聞いていないってことだ。
そして、説明を必要としているわけでもないのである。
以上を踏まえて話を冒頭に戻せば、理系は5パーセントの不確実性があれば95パーセント確かでも断言しない、というのは、実のところ曲解と言った方が良い。
∧∧
(‥ )理系の文化は単純で
\− 根拠と理屈と解析と証拠を
重視する
(‥ )ただそれは人間本来の
性質からかなり逸脱した
文化なんだよな
だから理系の科学者に
なるには
訓練が必要なわけで
そして、だから理解されないのだとも言えよう。
それを踏まえればである。彼らは説明の際に5パーセントの不確実性なんてことを言っているわけではあるまい。
実は単に根拠を申し述べているだけだろう。
∧∧
( ‥)だが一般人にとって
それこそが
信用して良いのか
不安にかられる動作なのである
(‥ )それを世間の人は
理系の人間は
95%確かなのに
なぜ断言しないのか?
と表現しているわけだ
実際には理系の人間が
しているのは単なる説明
そして
説明を聞いてない人間が
なんで断言しないの??
とピント外れな文句を
言い立てている
そう見るべきだろうな