2015年12月2日水曜日
本の本質とはバブみとオギャルにあり
本を読むと知的になる
∧∧
(‥ )じゃあなんで皆さん
\‐ 教科書や参考書を
読まないのですかね?
(‥ )つまり全員
嘘つきってことさ
知的になる、というのも嘘なら、知的になるため、というのも嘘だし、自分が知的だ、というのも嘘だ。
∧∧
(‥ )教科書にはない知的を
\‐ 我々は求めている
と反論する人も
いますけどね
(‥ )それは
”教科書を読まない”
理由にはならないな
教科書にはない知的が存在するとしても、だったら両方読めば良いだけの話。教科書”だけ”を読書から排除する理由にはならない。
∧∧
(‥ )みなさん嘘つきですか
\‐
(‥ )というか
一部の読書家って連中が
自分の学業の挫折を
糊塗する目的で
本を読んでいる
その上さらに
俺は知的だ! と
嘘ばかりつきつづけて
とうとう自分までその嘘を
信じ込むようになった
そういうことだろ
読書とは、本来は娯楽だ。所詮は逃げなのだ。散歩やアニメや漫画やゲームやスポーツと同じく、読書とは現実から離れて心を休める気晴らし。
それは壮快!
ゆえに、楽しめ。そして望むがままに読め。それで十分。
だが、読書を知的の道と称し、自分は知的であると勘違いした瞬間に、読書家たちはただの嘘つきに成り果てた。
問題はである。知的な俺様すげーと自称する彼らも、所詮は教科書も参考書も読まないただの馬鹿。よちよち歩きの赤ん坊でしかない、ということにある。
しかも本人たちは無駄にプライドがあって、自分が赤ん坊だという事実を認めない。いやそもそも認めたくないからこその嘘であった。赤ん坊のくせに、いっぱしの大人扱いされたい。これが読書家というものの正体。
∧∧
( ‥)つまり読書家に本を
与えるという事は
(‥ )バブらせ
オギャらせるという
ことですな
さあ、プライドの高い馬鹿向けに作られた、母性あふれる甘やかしの娯楽に抱かれて、存分にバブり、そしてオギャるがいい。それが読書家という堕落したものたちにふさわしき所行。
本の本質とは、バブみにオギャると見つけたり。