2015年9月24日木曜日
10円には青銅の価値があるがSFには無い
良いSFマニアとは死んだSFマニアのことだ!
∧∧
(‥ )何がSFなのか?
\‐ その認識と定義は
人間の脳神経が生み出すこと
つまりSFとは実在ではなく
便宜的な概念であって
外界には存在しない
SFの定義とは
あくまでの脳内の現象であり
自然科学ではなく
心理学の対象である
(‥ )人間を媒体として
織りなされる創作活動
そこにおける
ある漠然とした領域を
SFと呼ぶ
それだけの話だな
つまり、SFは実在しない。
∧∧
( ‥)するとSFマニアも実在しない?
(‥ )その論はおかしいだろうな
存在しないものの存在を
確信して
これを信奉する
そういう行動は
宗教であるし
宗教を信じる個人は
実体だ
つまりSFマニア自体は
実在するね
厳密に言うと個体すらも実在が怪しいのだが、まあ、触れる、見れる、感じれる、認識できるという点では、SFマニアという個人は確かに存在するのである。
∧∧
(‥ )SFという実在しないものを
\‐ 宗教として信仰する個人は
存在するのである
その存在の生成は
確率的である
確率的である以上
母集団である
人間の数が多い時
SFの実在を信じそれを信仰する
個体の存在は複数となる
つまり彼らとなる
それをマニアと呼称する
つまりSFマニアとは
複数の個体のことである
(‥ )そういうものに対する
嫌悪感は
よく言われるみたいだな
曰く、SFマニアの選民思想が気に入らない、と。
∧∧
( ‥)気に入らないとは
主観的な価値判断でしか
ないけどもね
( ‥)この指摘自体はあれだ
‐/ 1000冊を読むまで
SFを語るな
という言い様があるように
自分が読んだ数を
自慢する習性が彼らにある
聞く方からすれば
それが不愉快ですよという
指摘でもあるな
もちろん、本を読むとはそもそも無駄である。まったく合理的ではない。人間は非合理で無駄なものを累積させて力を競う。それゆえ、1000冊を読んだという無駄自慢は、人間の真骨頂である。
ただ残念ながら、流行が他へ移ってしまったのでSF読書自慢の価値が暴落したのだ。
∧∧
( ‥)前だってそんな価値は
なかったんじゃね?
(‥ )10円だって0円になったら
無意味になるだろ?
0になるってのは
強烈な話なんよ
政府が変わればかつての通貨は価値を無くす。特に貴金属などが含まれていない硬貨はそういう運命を辿る。それだけのこと。いまや流通価値を失った通貨を山のように見せられても、興味の無いものには、それはただのゴミでしかないのだ。ゴミを見て喜ぶ奴はいない。
ゴミを見せたあげくに、君にはこの価値が分からないの? と優越感丸出しで相手を馬鹿にすれば、その相手から意味不明な選民思想と呼ばれるのは当然。
∧∧
(‥ )10円は0になっても
\‐ 青銅の価値は残るの
ですけどもね
(‥ )SFは青銅のような
普遍性がなかった
そういうこったろ?
なまじサイエンス・フィクションなどと銘打ったのが良くなかったのかもしれない。
∧∧
( ‥)実際にはただの
フィクションだよね
自然科学のような普遍性はない
つまり青銅たりえない
(‥ )SFは所詮のところ
フィクションなのだ
認識論であり実体はなく
自然科学のような
普遍性もなく
それゆえ青銅のような
価値もない
この理解は大事よ
SFには10円の価値すらない。しかし、この認識こそが重大であり、そしてまずはこれが出発点。