2015年8月10日月曜日
自分は何に固執しているか? それが問われる
∧∧
(‥ )宗教的遺物を残したのは
\‐ 何種類も存在した
人類の中でも
ホモ・サピエンスだけ
である
(‥ )何を言っているの
ネアンデルタール人だって
宗教や
死者へのいたわりを...
そう言う人もいるけど
ネアンデルタール人の
宗教っぽく見える遺物って
別の解釈ができるか
芸術とみなすにしても
ひどく曖昧だよね
∧∧
( ‥)あなたがたホモ・サピエンスは
宗教を信じる種である
( ‥)俺たちの脳って
‐/ 過去のどっかの時点で
何か起きたんだよな
たぶんわずかな変化
なのだろうけど
その結果
目に見えないし
根拠も無いのに
そうと思い込んで
それに固執するように
なった
そういうことだろうね
ようするに、頭がおかしくなったのだ。そしてこれが種族的な特徴だとすると、全人類には、遺伝的にそういう性質が入力されていることになる。
∧∧
(‥ )まあ遺伝子と変異と
\‐ その組み合わせは
無数なので
均一ではありませんけどね
(‥ )均一ではないが
でたらめでもない
だとしたら
宗教を信じるという
性質から人間は
自由にはなれないと
考えるべきだな
それを思うと、宗教を頭から否定して小馬鹿にする人間は極めて危険だと言える。
∧∧
( ‥)宗教を信じるサルなのに
宗教を否定するとは
これいかに?
(‥ )宗教を否定する
これは他人の固執を
否定することだ
だが人である以上は
彼も宗教を信じる
サルである
だとしたら
彼も何かを
信じているはずだ
つまり
他人の固執は笑い飛ばすが
自分の固執には無邪気にも
無自覚である
そういうことだろ?
これは極めて危険な状態だ。人間が何か判断する時、必ず何か前提とするものがある。
人間は前提を無自覚に信仰している。
これは根拠無き固執だ。しかし、自らの固執として無邪気にも気がついていないとしたら、絶対にここから逃れることはできない。
前提は正しさも出力できるが、当然、致命的な過ちも出力する。前提は結果の是非にはまったく責任を示さない。これゆえ、前提の無自覚な信仰は大きな落とし穴になりうる。
自分が何に固執しているか、自分が自覚すらしていない大前提は何なのか? この見極めが肝心。
∧∧
(‥ )あなたの固執って何?
\‐
(‥ )命は不自然である
生きるのも不自然である
呼吸は苦痛である
食事は苦闘である
しかし死ぬのは恐怖である
努力はゼロである
手抜きはマイナスである
神は言われた
お前ら苦しんで死ねと