2015年7月30日木曜日
法治国家は理論上存在しない
小説「砂の惑星」を書いたフランク・ハーバートは「ドサディ実験星」という作品も書いた。
この小説で出てくる人々がゴワチン。人類とは違う種族で、見た目は人間とカエルのあいのこであるが、そんなことはどうでも良い。
ゴワチンの奇妙な点はその法体系、というか法律の運用だ。
彼らの法廷において、弁護人と検察は虚偽を司る。
法律を恣意的にねじ曲げて被告人を無罪にしたて上げる。これがゴワチンの法廷における弁護人の役割だ。
反対に、法律を恣意的にねじ曲げて被告人を有罪にしたて上げる。これがゴワチンの法廷における検察の役割。
この法廷では、弁護人が勝てば検事が死ぬ。検事が勝てば弁護人が死ぬ。法律を恣意的に運用することで行なう命をかけた戦い。これを人々は夢中になって観戦する。
∧∧
(‥ )裁判がショーになっている点は
\‐ アメリカの裁判を
思わせますかね
(‥ )法的な詭計を用いることが
まかり通っているのも
似ているかもね
別にアメリカの裁判のすべてがそうだというわけではないが、そんな理屈で無罪にしちゃったの?? と驚かされるようなことは時として聞く話だ。法的な詭計が横行する余地があり、それを娯楽として楽しむ文化。
他の知的生物は、ゴワチンの裁判を、文明を一回りして野蛮になっていると否定する。このあたりは、アメリカの裁判を見る、アメリカ人以外の人間の見方なのかもしれぬ。
一方、ゴワチン自身の評価はまったくの逆だ。俺たちの法律こそが最高だ。連合の法律は欠陥だらけではないか。
確かにゴワチンの裁判には良い点もある。
∧∧
(‥ )少なくとも法律の
\‐ 恣意的な解釈とへ理屈で
正義が汚されるということは
ありませんからね
(‥ )無罪になった被告は
その瞬間にぶっ殺される
からな
無罪判決が言い渡された瞬間。傍聴人がなだれ込み、被告人をぶち殺してずたずたに切り裂き、後は肉片を担いでお祭りだ。恣意的な解釈とへ理屈で無罪になった人間は、罪人に他ならぬ。殺されるのは当然だ。
あともうひとつ良い点というと
∧∧
(‥ )判断を下す判事団に
\‐ 法律の専門家を
入れてはいけない
(‥ )法的な詭計を縦横無尽に
繰り出して戦うのは
法律の専門家なんだ
だけど判事団は
一般人でないといけない
確かに、言われればそうだ。法律というのは、例えアメリカでも日本でも、世界のどの国でも。過去から現在、洋の東西を問わず、なにかしら恣意的に運用されるものであった。実際、既存の法律はこれから起こる全ての訴訟に素直に対応できるものではない。
法律が文字通りすべてに対応できると言うのは、法律が宇宙を含んでいると言うに等しい暴論。つまり、そんなことはありえない。
そうであるなら、法律には必ず恣意的に運用される部分がある。
この意味において法治国家などというものは存在しない。
あるいはこうも言える。法治国家は理論的にも原理的にも、存在不可能であると。
∧∧
(‥ )そもそも法律に是非の
\‐ お墨付きを与えるのは
大衆であって法律ではない
(‥ )大津市でいじめ自殺というか
事実上、殺人だな
あの事件があった時
教育長の対応が気に入らんと
襲撃があっただろ?
法律の運営に是非を与えるのは大衆だ。大衆が法律に従うのは、公平な第三者が運営すべきであると委任したからに他ならない。
∧∧
( ‥)ある意味、妥協の産物だ
( ‥)だからな大衆から
‐/ 公平じゃないと
思われたら
すべて
終わっちゃうんだ
法的な公平さを
疑われるようなことを
してはいけない
やったら殺されても
文句はいえんわけよ
法律を認めるのは大衆だ。法律を正当化するのは法律ではないし、ましてや法学者でもない。
そこを見誤ってはならぬ。見誤るとリンチされて殺される。そりゃ当たり前だ。
同様に次ぎのようにも言えよう。
専門家は法律の恣意的な運用を縦横無尽に駆使してもよい。
だが、その技を良しと認めるかどうかは大衆が判断すべきである。
∧∧
(‥ )だから判事団には
\‐ 法律の専門家を入れない
そして大衆である
判事と傍聴人たちの総意が
結論を導く
それがゴワチンの法ですか
(‥ )アメリカの裁判は
おかしいよねと
人は疑問に思う
連合はゴワチンの法律を
野蛮と呼ぶ
当然だよね
だがゴワチンたちは
自分たちの法律が最高だ
そう主張する
それもまた道理であるね
法的専門家の技を評価するのは大衆であるべきで、専門家が評価するべきことではない。これは重大な指摘だ。
∧∧
(‥ )法的専門家は神権政治を
\‐ やたらにやりたがりますからね
(‥ )あいつらはな
一般人は無知蒙昧な馬鹿で
俺たち天才が
導いてやらねばならない
そう思い込んでいる
最悪の意味での
オタクだからな
救世主が言われたように、律法主義者は死ね。これはまたゴワチンの言葉でもあった。
ちなみに
∧∧
(‥ )そういえばドサディ実験星の
\‐ 主人公マッキーが
ゴワチンの法廷で
被告人を無罪にするために
使った手段って
律法主義者を殺すこと
でしたよね
(‥ )3人の判事団のうち
自分の息がかかっていない
判事に
法的な難癖をつけて殺し
自分に賛成票を入れる
判事だけにしちゃうの
だよな
取ってつけたような展開なので説得力にやや欠けるが(ハーバートさん、意外とこういうことをする)、あれはそういうことだろう。
ゴワチン裁判において死ぬのは検事、弁護人、被告だけではない。理論上、法廷にいるものは全員、判事団も傍聴席にいる傍聴人、そのすべてが法的に命を奪われる可能性がある。
そして、主人公の手段は自分に敵対する判事に法的な難癖をつけて排除することであった。その判事が法律の専門家であることを暴露し、ゴワチン法の名の下に彼を串刺しにして殺すのである。それは傍聴人たちの賛同のうなり声で承認される。そんな判事は殺されて当然である。これは是なりと。