2015年6月26日金曜日
感性の鋭さとは老いぼれた脳の手抜き宣言である
人間の脳は非常にエネルギーを食う器官である。
∧∧
(‥ )そして35歳過ぎてからの
\‐ 体力の低下は顕著であり
40を過ぎると
経験値の上昇も
これを補い切れない
(‥ )以上を踏まえて次の
主張を考えてみようか?
歳を取ると体は駄目になるけども、頭は明敏である。感性は鋭いままである。
この主張は正しいか?
∧∧
( ‥)嘘じゃね?
( ‥)体が思うように
‐/ 動かなくなるほど
体力を失ってもなお
最大のエネルギー
消費器官である
脳は健在である
こんな主張は
怪しいよなあ
確かになんらかの理由で筋肉が動かなくなったが、脳への供給は健在である。そういうこともあろう。筋肉と脳は別物だ。元気だけどぼけちゃってるとか、記憶と周囲と自分を認識できるのに体が動かないとか、そういう事例は誰でもしっていよう。
しかしそれらはエネルギー不足とか、老化による体力の低下ではどうもない。むしろ壊れ方が違う、つまりアクシデントだとみなした方が良くないだろうか?
アクシデントと老化による出力の低下を等価に扱うことはできまい。
∧∧
(‥ )
\‐ 老化によって単純に体力を
失っている状況で
最大の
エネルギー消費器官である脳が
今なお鋭敏であると
自己申請する
これはいかにも
胡散臭い主張である
(‥ )実は脳の動作が
手抜きになっていて
エネルギー消費を
ケチっている可能性
これを疑うべき
実際、脳の動作をケチることは老人どころか大人の特徴である。
こうである
こうであるはずだ
こうなのだ
こうでないとだめだ
これ全部、解探索の手抜きである。
大人は頭が固いとか言うが、多分、それは正確ではない。体力が無いので脳が面倒くさがっているだけなのだ
∧∧
(‥ )解を探索するどころか
\‐ 自分が予め用意した答えに
ゴリ押ししているだけである
(‥ )そもそもだな
老いても感性は鋭いままだ
この主張自体が
手抜き臭するよな
人々のいう感性とは、自分があらかじめ用意している答えに物事を無理矢理こじつけるための言い訳ではないのか?
老いても感性が鋭いままである。これは老いぼれた脳が手抜き宣言をしていると見るべきではないのか?
実際、感性などという言葉には、私がこう感じているからこれで良いのだ、という頑迷さがある。
ここには総合的に状況を付き合わせて解答を探そうという動作がまったく見られない。これでは昆虫以下だ。